デイリーディボーション 3月20日(金)

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デイリーディボーション 3月20日(金)

2020年3月20日(金)
テモテへの手紙 第一 2:9-11 9同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、10むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。11女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。
【ポイント】 ①男女差別でも戒律でもない その2 クリスチャンの女性で今日の個所を正確に守っている人もいると思いますし、それほど守ってない人もいることでしょう。しかし、私たちは聖書が神様のみことばであると信じているわけですから「なぜ守るのか」「なぜ守らないのか」をはっきりと理解していることが重要です。
結論から言うと、私は、今日書かれている内容をすべて忠実に守ることで、自動的に神様の御心に従うことになるわけではないと考えます。もし、あなたがイエス様の命令に従い、今日のみことばを守ることが神様を愛し、隣人を愛するための具体的な行動であり、その行動に心の底から喜びを感じ、他の人がこの戒めに従っていないことも全く気にならないとしたら、本当の意味で聖書的な歩みをしている可能性が高いです。
しかし、単に戒律として行っていたり、やらされている意識があったりしたとしたら、そこには神様への愛も、隣人への愛も、心の喜びもないことでしょう。そのような状態では、本当の意味で聖書のみことばを守っていることにはならないのではないでしょうか。
恐らく、エペソの教会では「はでな髪の形」「金や真珠や高価な衣服」を身に着けることが好きな女性が、教会の主の愛による一致と建て上げを妨げているという具体的な問題があったのだと思います。これは完全に個人的な推測ですが、「はでな髪の形」「金や真珠や高価な衣服」の女性が、教会の兄弟姉妹に献身的に仕え、神を愛すること、隣人を愛することに熱心に取り組んでいたとしたら、今日の個所を書くことはなかったはずなのです。つまり、本当の問題は髪型、服装などの外面的なものではなく、神様と隣人よりも、「はでな髪の形」「金や真珠や高価な衣服」を愛している心の状態にあったと考えるのが妥当です。
神様の愛に心が満たされ、神様を愛することに最も大きな喜び感じるような「愛の関係」が築かれていけば、「はでな髪の形」「金や真珠や高価な衣服」に喜びを感じるという価値観も変えられていくことでしょう。ですから、ここでも本当の意味での聖書的な歩みとは5節の「5この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。」という一言に集約されるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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