デイリーディボーション 3月22日(木)

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デイリーディボーション 3月22日(木)

2018年3月22日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 10:5-8
5モーセは、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています。6しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。7また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。8では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

【ポイント】
①神様の義は「与えられるもの」であって「取りに行くもの」ではない
今日の箇所にある聖書の引用は申命記30章からのものだと思われます。パウロは、「旧約聖書の律法」と「イエス様の福音」の共通点を説明しています。ちょっと長いですが、申命記30章を読んでみましょう。
9あなたの神、主は、あなたのすべての手のわざや、あなたの身から生まれる者や、家畜の産むもの、地の産物を豊かに与えて、あなたを栄えさせよう。まことに、主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄えさせて喜ばれる。
10これは、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主に立ち返るからである。
11まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。

12これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか」と言わなくてもよい。
13また、これは海のかなたにあるのではないから、「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って来て、私たちに聞かせて行なわせようとするのか」と言わなくてもよい。
14まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。

つまり、神様は、「律法」も「福音」も私たちの身近に与えてくださっているということです。ですから、多くの宗教に見ることができるような、宗教的な奥義を会得するための特別な修行も努力も必要ないのです。パウロは、この真理は旧約聖書から変わらないものであることを説明しようとしているのです。真の神様は意地悪な方でも、もったいぶる方でもないので、ご自身の御心は誰でもが分かる形、方法で既に与えてくださっているということのです。それは、聖書であり、この世に遣わされたイエス・キリストの業、みことばなのです。

宗教的な修行も努力も必要ないのであれば、どのようにすれば神の義を得ることができるのでしょうか?皆さんは既に答えを知っていると思いますが、改めて明日の学びたいと思います。

ライフチャーチ
大谷信道


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