デイリーディボーション 3月23日(月)

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デイリーディボーション 3月23日(月)

2020年3月23日(月)
テモテへの手紙 第一 3:1-2 1「人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである」ということばは真実です。2ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、
【ポイント】 ①問題の本質と解決の方法を考える 手紙全体の文脈から考えると、パウロがこの手紙で扱っているエペソの教会の本質は「リーダーシップ」のあり方だと思われます。パウロの時代には、教会にはすで組織としてのリーダーが存在していたと思われます。それらは、牧師、長老、監督、執事などです。そして、エペソの手紙4章11節に「11こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」と記されているように、それらの人々は必ずしも政治的、経済的な力(社会的な発言力)を持っていた者たちではなく、聖書を教える知識や賜物を持っていた人たちだと考えるのが自然です。
ですから、1章3、4節の「ある人たちが違った教えを説いたり、果てしのない空想話と系図とに心を奪われたり」という記述も、その問題の原因は「教会のリーダー」がの違った知識、間違った議論にあったことが分かります。そして、1章10-20節の「19ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。20その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。」と個人名が明らかにされている点を見ても、この二人が影響力をもったリーダーであったことが推察されます。
さらに今日以降の箇所で「監督」「執事」について、語られていることからも、パウロがエペソの教会の「リーダシップ」つまり、リーダーのあり方に問題を感じていたことが分かります。具体的な事柄は、イエス様の神聖を否定するような系図の議論(1:3-4)、恵みを無視した律法主義的な教え(1:6-11)、国家に対する反抗的な教え(2:1-4)などによって、一部のリーダーが信徒を間違った方向に導こうとしていたことだと推察できます。
繰り返しになりますが、間違った教えは必ず教会に「悪い実」を結ぶことになります。そして、正しい福音は必ず教会に「愛の実」を結ぶことになるのです。リーダーたちは、自分にとっては正しいと思える教え、自分にとっては聖書的であると思える教えを行っていたとしても「愛の実」を結んでいなければ、自分の教えに何か問題があるのではないかと、自らを振り返ることが重要なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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