デイリーディボーション 3月26日(木)

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デイリーディボーション 3月26日(木)

2020年3月26日(木)
テモテへの手紙 第一 3:5-7 5――自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう――6また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。7また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。
【ポイント】 ①「家庭を治める」の真意をとらえる 昨日の4節も見てみましょう。パウロは、監督(牧師)となる人は「自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。」と教えていました。残念ながら、この個所を正しく理解できていない牧師が少なくありません。特に、20世紀以前はそうだったのではないかと思います。いろいろな牧師家庭の話を聞くと、「よく治め」「十分な威厳をもって従わせている」という表現を、「厳格」とか「権威主義」というようなイメージでとらえてしまった牧師がいたことが想像できます。
しかし、イエス様の弟子たちとのかかわり方、御国でのご支配を考えると、それは「厳格」「権威主義」とは全く違う性質のものであることが想像できると思います。イエス様導は人々はを「愛」によって治め、導かれる方であり、「しもべ」として仕えることによってリーダーシップを発揮された方であることを忘れてはならないのです。
別の言い方をすれば、イエス様との愛の関係を正しく築くことができている牧師(信徒)は、家族を過度なしつけ(恐怖)、親としての権威を振りかざすような方法にによって治めることをするはずがないのです。反対に、聖書に記されている神様の愛、恵み、憐れみ、赦しを十分い理解せず、神様が非常に厳しく、恐ろしい存在であるという偏ったイメージしか持てていない牧師(信徒)は、その関係性を家族に反映することもあるでしょう。
例えば、放蕩息子のたとえ話などを見れば、神様の愛、そして父親の愛のあり方を知ることができますね。息子に財産すべてを与え、家出をさせてしまう父親のあり方は「自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人」と矛盾するものであると感じる人もいるかもしれません。しかし、それは出来事の一部分しか見ていないことになります。愛と恵による父親の愛によって、息子は父のもとに帰ってきたではありませんか。息子は強いられてではなく、自発的に父を愛し、父に従う決心をしたのです。これこそがイエス様、パウロが教える「家庭を治める」姿なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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