デイリーディボーション 3月26日(金)

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デイリーディボーション 3月26日(金)

2021年3月26日(金)
ヨハネの手紙第一 4:1-3 1愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。2人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。3イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
【ポイント】 ①ポイントはキリストを愛しているか否か カルト的なキリスト教会、その他カルト的な新興宗教が蔓延している現代において、4章1節に記されているヨハネの命令は極めて大切なものです。まず、ここに明らかにされている聖書的な真理は「霊だからといって、みな信じてはいけません」というものです。例えば、「病のいやし」を活動の中心にしているカルト的な教会(牧師)がありますが、私たちクリスチャンは、病の癒しが「聖霊」の働きによるものであるとは限らないという事実を知らなくてはなりません。以前にもお話ししましたが、新しい医薬品の使用の臨床試験を行う際に、例えば、実際の治療薬と、偽薬として生理食塩水を別々の人に注射し、両者の違いを検証します。その理由は、偽薬(ここでは食塩水)の注射で病気が治ったり、改善したりする人が一定数いることが経験的に知られているからです。別の言い方をすれば、神様は、「これで病気が治る!」と信じることによって、病気が良くなったりするような仕組みを持ったものとして人間を創造されたということです。つまり、「病気の癒し」=「聖霊の働き」とは限らないということなのです。実際に、キリスト教以外の宗教でも、病の癒しの話をたくさん聞くことができます。
ですから、私たちクリスチャンが大切にしなければならないポイントは「そこにキリストへの愛の実践があるのか?」と言うことです。癒しであれば、癒しの祈りをする者、祈られる者がキリストを信じ、愛し、キリストを中心として歩んでいる者であるのか否かという点が極めて重要になってくるということです。でですから、「イエス・キリストを告白する」とは、「私は、イエスがキリストであると告白します!」と口で言えば良いというようなことではありません。その告白が本当に純粋なものであるとしたら、その人はイエス様を愛し、イエス様の命令である「互いに愛し合いなさい」という命令を忠実に実践している者であるはずだということを、これまでの個所で学んできましたね。
1ヨハネ3章23-24節 23神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。24神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。
不思議なことが起きていることが「キリストの霊」が働いている証拠だと思っている人は、今日の個所から学び、その間違いを改めましょう。むしろ、キリストの愛の命令に忠実に従い、愛の実が結んでいる(結びつつある)教会、家庭を見る時にこそ、そこにキリストの御霊が働かれていることを知らなくてはならないのです(ガラテヤ5章22-26節)。
ライフチャーチ 大谷信道


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