デイリーディボーション 3月27日(火)

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デイリーディボーション 3月27日(火)

2018年3月27日(火)

【通読】
ローマ人への手紙 10:18-21
18でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」19でも、私はこう言いましょう。「はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。」まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者のことで、あなたがたのねたみを起こさせ、無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。」20またイザヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現わした。」21またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」

【ポイント】
①神様の計画(福音)は明らか

今日の箇所からも、最初から神様が異邦人を救いに導きたいと思われていたことは明らかです。繰り返し確認していますが、ユダヤ人達の問題は、自分たちにとって都合が良い聖書箇所は聞くけれども、自分たちの考えに合わない聖書箇所は見て見ぬふりをするという態度です。しかし、これはユダヤ人だけの問題ではなく、すべての人間に共通する問題なのです。自分が罪深い人間に見られたくない、律法を守って行きているように見せたいというような、自己正当化の結果であり、それはアダムとエヴァにも見ることができる典型的な「罪」の症状なのです。

②自分の問題の正当化を止める
「神様の御心が分からないのです。」と言うクリスチャンの方が時々おられます。しかし、神様の御心、神様の計画、神様の願いは聖書を読めば日を見る良いも明らかです。その一つは、神様は私たち人間を用いて、ご自分の計画を実現しようとされているということです。その計画とは「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)というものです。ここでの「あなた」とは「アブラハム」のことですが、それは「アブラハムの子孫」そして、信仰によってアブラハムの子孫(ガラテヤ3:7)となった私たちクリスチャンでもあるのです。この神様の御心、計画は初めから今日に至るまで変わることはないのです。

ユダヤ人は神様の祝福を自分たちの民族だけで専有したいと思い、その欲求に合わせて聖書を勝手に解釈し、自分を正当化しようとしてしまいました。ですから、バプテスマのヨハネやイエス様に「罪」を指摘された時に、心の底では自分たちの問題を知っているはずなのに、素直に聞くことができなかったのです。

私たちクリスチャンも同じ傾向を持っています。神様の御心、計画よりも、自分のキャリア、自分の計画を優先したいと思う事があるはずです。自分の人間的な成功のために神様の力を利用したいと思うこともあるでしょう。そのような状態に陥ってしまう時に、自己正当化のための言い訳をしてしまうこともあるでしょう。しかし、そのような言い訳はすべてをご存知の神様の前では何の意味も持たないことも知っていますね。

今日の箇所でパウロがユダヤ人は神様の御心について「聞いていた」し、「知っていた」のに、神様の本当の思い、願いを無視してしまったのです。私たちはどうでしょうか。自分のキャリア、生活、願いで頭がいっぱいになっていることはないでしょうか。神様の御心を優先してないことについて、いかにも正しそうな言い訳を用意していないでしょうか、自分が選ばれ、救われた理由をちゃんと覚えているでしょうか。

③イエス様からのねぎらいのことばだけに希望を置く
私たちは、やがて自分の人生について問われる時がきます。聖書に明らかにされている神様の計画について、自分なりの歩みではなく、神様に忠実に歩んできたのかを問われる時がきます。今週の礼拝説教箇所でもあるマタイ25章21節から引用します。

「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」

ここにこそ、私たちの真の幸せ、祝福、慰めがあるのです。自分の計画や成功を優先した人が、このイエス様からの祝福を受けることができるでしょうか?そのような人生は本当に幸せな人生だと言うことができるでしょうか。ユダヤ人の失敗からしっかりと学ぼうではありませんか!

ライフチャーチ
大谷信道


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