デイリーディボーション 3月29日(水)

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デイリーディボーション 3月29日(水)

2023年3月29日(水)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 11章22-23節 22見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。23彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。24もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。
①「倒れた者が切り落とされる」きびしさとは? 神様の「いつくしみときびしさ」について、勘違いしているクリスチャンが多いようです。神様が、良い行いをする者にはいつくしみを与え、悪い行いをする者にはきびしいさばきを与える方であるという勘違いです。
もちろん、聖書を見れば神様のさばきがあることは明確ですが、神様はその時の気分や気まぐれで人間をさばく方ではありません。神様は最初から変わることなく愛、恵み、いつくしみに満ちた方なのです。パウロのオリーブの木のたとえで考えてみましょう。22節でパウロは「切り落とされる」ことについて、次のように説明しています。「あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」人間がオリーブの木から切り落とされるか否かを決めているのは、人間が「いつくしみの中にとどまる」か否かなのです。
それでは「きびしさ」とは何を指しているのでしょうか。それは、神様のいつくしみの中にとどまろうとしない者に待っている結末のきびしさでしょう。神様はすべての人間を愛し、救いの手を差し伸べてくださっています。しかし、救いは私たちが自分の手を神様に差し出さなければ実現しません。なぜなら、救いとは、神様と私たちの相互の愛の関係の結果であるからです。神様は、神様を愛するつもりのない人を、その人の意志に反して無理やり愛させたり、無理やり手を引っ張って救い上げることはしません。繰り返し結婚に例えてお話をしていますが、結婚が片方の意志だけで成立しないのと似ているのです。神様からの愛に応答せず、神様との愛の関係の中に生きることを拒む人は、その結果として、永遠の孤独の中に生きることになります。世の中には、「それでも良い!」と考えている人がたくさんいるのだと思いますが、神様はその「きびしさ」について繰り返し警告を与えてくださっているのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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