デイリーディボーション 3月30日(月)

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デイリーディボーション 3月30日(月)

2020年3月30日(月)
テモテへの手紙 第一 3:11-13 11婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。12執事は、ひとりの妻の夫であって、子どもと家庭をよく治める人でなければなりません。13というのは、執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができるからです。
【ポイント】 ①健全なリーダーシップ体制を作る 保守的な立場をとる教会では、2章の「12私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。」などの個所から、女性の牧師、執事が聖書的ではないとしている教会があります。しかし、執事については11の「婦人執事」という記述があります。しかし、12節の「執事は、一人の妻の夫であって」という箇所から、11節は「婦人執事」ではなく「執事の妻」と理解する研究者も少なくありません。ちなみに、保守とリベラルの中間ぐらいの立場をとるNIVという英語の聖書は「執事の妻」という訳を採択しています。いづれにしても、大切なことはこの世の常識を用いて聖書を解釈するのではなく、聖書の記述から議論を深めることだと思います。反対に、女性執事、女性牧師は問題ないと考えるクリスチャンは、その考えを支持する聖書個所をきちんと提示することが求められます。「聖書の記述は時代に合わない」と考えるクリスチャンは少なくありませんが、そうであれば「イエス様の十字架での贖いも時代に合わない」可能性があることを認める必要があります。自分にとって賛同できないことだけ「時代に合わない」、そうでないことは「大丈夫」という考え方には一貫性がありませんし、そのような考え方は「聖書は神のことばではない」と言っているのと同じだという自覚を持つべきだと思います。
このように女性牧師、女性執事の可否につての聖書的な議論が重要であることが分かりましたが、ここではさらに重要なポイントがあることも確認しておきましょう。パウロが牧師、執事の性別の問題ではなく、エペソの教会の中のリーダーシップの問題について話しているという文脈を見失ってはなりません。ここで重要なことは、それが「婦人執事」であろうが「執事の妻」であろうが、その人たちのリーダーシップに問題があったということです。何かしらの問題があったからこそ、パウロがその点について触れているのです。
つまり、「牧師、執事は男性であることが聖書的である!」と主張する教会は、「それでは、あなた方の教会の牧師、執事のリーダーシップ、互いの協力関係、信徒との信頼関係は聖書で教えられている通りに健全なものとなっていますか?」という質問に「はい」と答えられなければ、聖書的な歩みができていないことになることに気が付かなければならないということです。イエス様の戒めを神のことばとして受けている教会は、牧師、執事の性別の問題よりも、この問題のほうがはるかに重要であることに気が付かなければならないのです。
本当に大切なことに優先順位をつけて、行なっていきましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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