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2023年3月30日(木)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 11章25-26節 25兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、26こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。27これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
①福音を複雑にしてしまっているのは何か? ユダヤ人であろうが、異邦人であろうが、聖書を読めば神様の計画(意図)は明らかです。創世記の12章1-3節を見てみましょう。 「1主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
すべての人間が神様の祝福の中に導き入れられる。これが神様の計画であり、願いなのです。極論を言えば、ユダヤ人であろうが、異邦人であろうが、ユダヤ教徒であろうが、カトリック教徒であろうが、正教会であろうが、プロテスタントであろうが、関係ないのです。神様の救い、祝福は、まことの神様を知り、その愛を受け取り、その愛に応え、神様を愛する者に一切の区別なく与えられるものなのです。
ですから、「イスラエルはみな救われる」という箇所があったとしても、それは民族として、国家としてのイスラエル(ユダヤ人)が、自動的に全員救われるというようなものではないのです。このような箇所と民族主義を結び付けた教えを説く教団、教派がありますが、そのような聖書解釈は、なんらか宗教(教団・教派)的、政治的なバイアスを受けたものであって、素直に聖書を読んだ結果ではないのです。つまり、「私はユダヤ人なので」「私はカトリックなので」「私はプロテスタンなので」というような、既成概念・偏見を持った状態は、25節の「かたくなになった」状態と同じであり、それが邪魔をして、神様の御心を受け入れることができない可能性があるのです。
「かたくなさ」を捨て、「素直さ」から聖書を読んでみましょう。神様の思いは非常にシンプルなのです。
ライフチャーチ 大谷 信道