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2022年3月31日(木)
マタイの福音書 22章39-40節 39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
【ポイント】 ①イエス様の戒めを正しく理解する イエス様の「二つの戒め」は、決して新しいものではなく、旧約聖書に明記されている神様の御心です。イエス様は、この二つの戒めが聖書全体の要約であり、神様を信じるすべての者に与えられている使命であることを教えられました。
この二つの戒めは決して別々に行うものではないことを知らなくてはなりません。まず、ヨハネ14章15節を見てみましょう。
「15もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」
次に同じヨハネの福音書15章9-12節です。
「9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。10もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。11わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。12わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」
私たちはこの「神様の愛のサイクル」を理解しなくてはなりません。つまり、神様が私たちを愛され、愛を受けた私たちは平安・喜びに満たされ、神様からの愛に応答したいという思いが与えられ、神様を愛し、神様の願いに従い隣人を愛するのです。ですから、イエス様の二つの戒めは、義務でも命令でもなく、私たちが進んで行いたいと思うものだということです。
②イエス様の二つの戒めと教会 さらに、重要なポイントは、この二つの戒めを実践するところが「教会」だということです。二つの戒めのどちらが欠けても「教会」とはならないのです。神様への礼拝に熱心な人がどれだけ集まっても、それは教会ではありません。人々との愛の交わりだけを求める人がどれだけ集まっても、それは教会ではありません。
健全な教会の印は聖書的であることだと説明する人が多くいますが、聖書的とは何を意味しているのでしょうか。この二つのみことばに忠実であることこそ聖書的なのです。なぜなら、イエス様が「律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」と教えられているからです。
ライフチャーチ 大谷信道