デイリーディボーション 3月31日(水)

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デイリーディボーション 3月31日(水)

2021年3月31日(水)
ヨハネの手紙第一 4:8 8愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
【ポイント】 ①クリスチャンの歩みは「愛すること」に始まり「愛すること」に終わる 聖書から知ることができる「信仰」とは、御子イエス・キリストと天の父を愛する決心をし、実際に愛することです。神様(キリスト)との愛の相互関係にあることが「信仰」なのです。
そして、これまで学んできた通り、もし私たちがキリストを1番愛する者であるなら(信仰があるなら)、キリストの戒めを忠実に実践するのが当然(自然)であり、反対に、愛の実践に熱心でないとしたら、キリストに不従順なものであり、その人の信仰が不確定なものである可能性が出てきます。つまり、「愛のない者」とは「愛の分量が足りない者」とか「愛が完全でない者」を指しているのではなく、キリストを愛するという「信仰」そのものがない者を指しているのです。ですから、当然「信仰」がないのであれば、そこには神様との愛の関係は確立されていないわけですから、「愛のない者に、神はわかりません」となってしまうのは当然と言えるのです。
これまで何度も学んでいますが、「イエス・キリストを信じること」と「イエス・キリストを愛すること」は全く同じことなのです。そして、「キリストを愛すること」の中には「キリストの戒めを守ること」が含まれていることが含まれていることを忘れてはならないのです。
ヨハネの福音書14:23 23イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。24わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
ヨハネの福音書15:9-10 9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。10もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。
ライフチャーチ 大谷信道


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