デイリーディボーション 3月5日(月)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 3月5日(月)

2018年3月5日(月)

【通読】
ローマ人への手紙 8:31
31では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

【ポイント】
①「人の目を気にすること」からの解放
もし、私たちが神様を愛し、神様の子どもとされている(義とされている)のであれば、私たちは他人からの評価(律法主義)、自分の信仰についての他人からの批判(迫害)などから解放されていることになります。

同様に、日々の生活においても、私たちは「人の目をきにすること」から解放されています。もちろん、それは自分勝手に生きて良いということではありません。神様が正しいとされる生き方(御心)を求めて生きていれば、その生き方について他の人から何と言われようが気にすることはないからです。この世においては、この世の風潮に流されない人は「変わり者」と呼ばれるかもしれません。しかし、この世の風潮に身を任せても、この世はその結果について何の責任も負ってくれません。例えば、あなたが子どものために「ホームスクーリング」を選択したとします。「学校に通わせないなんて子どもがかわいそう!」とか「それでは社会性が身につかない!」などと批判を直接受けるかもしれませんし、影で噂されるかもしれません。では、そのような批判を行う人は、あなたの子どもの教育について責任をとってくれるでしょうか。取ってくれません。もちろん、子どもの希望を聞いてあげることが重要ですが、親として、自分の信仰に照らして家で教育を受けさせるほうが神様の前で正しく、そして自分の子どものために必要だと判断した場合は、周りからどのような批判や攻撃を受けたとしても、その決断に確信を持つべきなのです。ちなみに、「ホームスクーリング」や「フリースクール」は良い実を結んでいることが証明されてきたので、国(自治体)も容認の方向に向かっていますね。

わたしは決して反社会的な考え方を選ぶことを勧めているのでも、あえて他人とは違う奇抜な生き方を選ぶことを勧めているわけではありません。(ホームスクーリングやフリースクールを積極的に推奨しているわけでもありません。)神様の前に正しいこと、良いこと実行していく際には、必ずこの世との衝突が起こるものです。その際に、この世からの攻撃を恐れる必要はないということです。今週も、勇気を持って、神様の前に正しいこと、良いことを選び取っていく歩みを続けましょう。

「31では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」

アーメン

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info