デイリーディボーション 3月8日(木)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 3月8日(木)

2018年3月8日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 8:35-36
35私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。36「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

【ポイント】
①勝手に孤独になってはならない
この最後の質問は、これまでの質問と別のものではなく、これまでの質問のまとめであり、締めくくりです。「神が味方」(31節)、「神の恵み」(32節)、「神様の義」(33節)、「キリストのとりなし」(34節)のすべては「神様(キリスト)の愛」から出ているものなのです。

しかし、ここに問題があります。それは、本来「私たちからキリストの愛を引き離す」ものは一切ないことが約束されているにもかかわらず、私たちは自分がキリストの愛から離れてしまったと感じることがあるという事実です。そのような孤独感を感じる原因はどこにあるのでしょうか。今日の箇所から考えると、その原因は「私達自身」しかないことが分かります。神様が私たちを孤独にさせることは絶対にありませんし、外敵な要因(患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣)も、私たちをキリストの愛から離す原因にはならないと書いてあるわけですから、もし「キリストの愛から離れてしまった」と感じることがあるとすれば、その原因は「自分自身」「自分の思い違い」にあるわけです。

もっと具体的に言えば、これは、明日の箇所になってしまうのですが、私たちが「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(39節)という神様の約束を信頼していないという問題があるということです。

ここに私たちの戦いがあります。その戦いはサタンとの戦いでも、人との戦いでもありません。もちろん、サタンは私たちを神様の愛から離そうと巧妙に誘惑を仕掛けてきます。他の人から、迫害を受けたり、信仰について反対されることもあるでしょう。しかし、最終的にキリストの愛を信頼し、キリストの愛に留まるかどうかを決定するのは自分自身であることを忘れてはなりません。

ですから、私たちは勝手にキリストの愛から離れようとする自分、勝手に孤独になろうとする自分と戦い、キリストの愛の約束に留まり続ける必要があるのです。フラフラと神様の愛から離れようとしている自分がいたとしたら、今日のパウロのみことばをもって、自分自身に語りかけたり、叱ったりする必要があるのです。

あなたは大丈夫ですか? 勝手気ままにキリストの愛からは離れようとしている自分を野放しにしていることはないでしょうか?自分がキリストの愛から離れているかどうかすら意識していないというようなことはないでしょうか。もし、そうだとしたら、しっかりと自分と向かい、自分を叱り、自分をキリストの愛へと引き戻して上げるのです。「◯◯!よく聞きなさい。」と自分に呼びかけてから、今日の箇所、その前後を読んでみるのです。私たちは、はっと我に返ることができることでしょう。

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info