デイリーディボーション 3月8日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 3月8日(火)

2022年3月8日(火)
マタイの福音書 21章12-13節 12それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。13そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
【ポイント】 ①神様の視点ですべての物事を見る 日本で生まれ育った人は、神社の参道などに出店(屋台)が並び、人々が商売をしている風景に違和感を覚える人はいないでしょう。さらに、境内の中でおみくじなども販売されていますし、人々は喜んでそのような商品を購入しているようです。
恐らく、イエス様の時代に神殿の敷地の中で行われていた「両替」「捧げものの販売」も、人々は「割高感」を感じながらも、便利なサービスであると喜んで利用していたのかもしれません。
人々が便利に利用していた可能性もある、神殿の中での「売り買い」の何が問題だったのでしょうか。彼らが暴利をむさぼっていたことでしょうか。もし、彼らが適正な料率や価格で商売をしていたとしたら、イエス様は彼らを追い出さなかったのでしょうか。そうではないでしょう。イエス様が憤りを覚えられたのは、そこにいる人々が、その光景に違和感を覚えない事だったと思われます。つまり、人々の心から「神様の臨在」が抜け落ち、神殿での礼拝・参拝が単なる「宗教的な手続き」になってしまっている事、それが「信仰」であると思い込んでいることにイエス様は心を痛めたのでしょう。
残念ながら、現代においても同じ現象が起きています。宗教的な行為、手続きを行うことが「信仰」だと思っている人が少なくないのです。クリスチャンも例外ではありません。特に、カトリック教会、正教会などを見てみるとよくわかると思います。そこで行われている宗教的行為、手続きに神聖さ、荘厳さ、畏敬を覚えたり、神様の臨在に触れたような感覚を得たりすることができます。しかし、そのようなものは人間的な感覚から作り出された「演出」であって、信仰の本質である「神様との愛の関係」が抜け落ちてしまっているケースが少なくないのです。
プロテスタント教会も決して他人事ではありません。もし、「教会に行くこと」「礼拝に参加すること」「讃美歌を歌うこと」「献金をすること」「聖書を学ぶこと」「他のクリスチャンとの交わりを楽しむこと」「奉仕をすること」が、宗教的行為・手続きになってしまっていたとしたら、イエス様が本当に伝えたかったことを理解していないことになってしまいます。
この信仰の「形骸化」とも言える現象に気を付けるだけでなく、戦い、自分の内から排除していくことが求められています。そこで、私たちができることは、神様の視点で物事を見ることです。または、目の前に立っておられ、あなたを心から愛しておられるキリストが自分の行為をどのように見ておられるのかを考えることです。決して難しいことではありませんね。それだけで、私たちの祈り、礼拝、賛美などが大きく変えられるはずです。
ライフチャーチ 大谷信道


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