デイリーディボーション 4月1日(木)

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デイリーディボーション 4月1日(木)

2021年4月1日(木)
ヨハネの手紙第一 4:9 9神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
【ポイント】 ①クリスチャンの歩みは「愛すること」に始まり「愛すること」に終わる その2 天の父(キリスト)との愛の関係の中にとどまるときに、私たちのうちにも具体的な変化が起きます。ガラテヤ5章には「御霊の実」として、次のように記されています。「22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23柔和、自制です。」
この変化が「自然」に起こると思っているクリスチャンがたくさんいるようですが、それは完全な間違いです。実際、上のガラテヤ書の続きにはこのようにあります。「25もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。26互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」御霊に導かれている私たちは、御霊の促しに従って「進む」ことが求められていますし、その具体例として「いどみ合うこと」「そねみ合うこと」「虚栄に走ることを止めるように教えられているのです。
ここで、注意が必要なことは、イエス様は「〇〇をやめなさい」という命令だけでなく、「神を愛しなさい」「隣人を愛しなさい」という積極的な命令を出されていることです。今日の個所からは、神様の愛の実践の積極性を見ることができます。それは「いのちを得させてくださいました」という部分です。これは、単に「いのちが存続している」ことを宣べているのではありません。「生きるしかばね」という表現がある通り、私たちは肉体のいのち、永遠のいのちが与えられていたとしても、そうでない者かのように生きてしまう可能性があるということです。「御霊の実」「いのち」「愛」という表現から私たちが導き出すことができるのは「いきいきとした」クリスチャンの姿なのです。
さらに、ここから分かることは、神様から求められているように正しく「人を愛する」ときに、その結果として、相手は「いきいきとした者」に変えられて行くという変化が起きるはずなのです。愛の実践の具体例がよく分からないという人、苦手な人がたくさんいるようですが、「愛するとは相手を生かす(いきいきとした者に変えられるように働きかけること)」だと聞くと、愛の実践の具体的なイメージが湧いてくるのではないでしょうか。
自分は周りの人を愛していると思っている人が多くいます。しかし、私たちクリスチャンは、自分の家庭や職場での自分の「話し方」「ことばの選び方」「表情」「行動」などが、相手を生かし、相手をいきいきとさせるものであるのか否かを振り返ってみる必要があるのです。そうでなければ、私たちの愛は相手には伝わらないのです。イエス様が口先で愛を語るだけで、暗い表情をしていたり、いつも機嫌が悪そうだっり、何をするにも面倒くさそうな雰囲気を醸し出している人だったら、だれもイエス様のことばを聞かなかったことでしょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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