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2023年4月12日(水)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 12章3-5節 3私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。4一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、5大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
①憐れみと恵みによって救われている私たちの歩むべき姿を知る 12章以降はローマ人への手紙における「倫理的な教え」のセクションだと説明している注解者が多いように思います。ローマ人への手紙がパウロの「神学論文」のようなイメージを持ち、神学の学びのためにこの手紙を読んでいる人にとっては、12章以降は「付録」のように映るかもしれません。しかし、パウロが神学論文を手紙にしてローマ教会に送ったというのはあまりにも不自然ですね。パウロはローマ教会の中で起きている様々な問題について報告を受け、その問題解決のために手紙を書き送っていると考えるのが自然ですね。12章から本題であった、ローマの教会のメンバーの信仰の歩みについての具体的な教え、奨めが記されているわけですが、11章まではその教えの根拠をイエス様の福音から説明していたわけです。
それでは、パウロの手紙の本題とは何だったのでしょうか。それは、イエス・キリストを愛し、信じる者たちが、イエス・キリストの命令に忠実に従っていくことであり、それは「互いに愛し合うこと」なのです。ユダヤ人、ギリシア人(異邦人)の区別なく、すべての人が神様の前では罪人であり、誰一人自分の努力で罪を克服すること(律法を完全に全うし義とされること)はできません。そして、ユダヤ人、ギリシア人の区別なく、イエス・キリストの福音(十字架と復活)を聴き、神様の愛に触れ、神様を愛し、神様に救いを求めるものは皆救われるのです。これが、神様のあわれみと恵みなのです。ですから、救われた者は、ユダヤ人、ギリシア人(異邦人)の区別も、優劣もなく、みな等しく神様愛される神の子どもなのです。天の父は、ご自分の子どもが互いに赦し合い、受け入れ合い、愛し合っていくことを望まれているのです。パウロの手紙の目的は、救いの方法として「恵み」を教えることではなく、「恵み」によって救われた者たちが、キリストの愛によって一つとなることを教えることだったのです。
イエス様の福音も、パウロの教えのポイントも極めてシンプルで分かりやすいものなのです。しかしながら、過去から現代に至るまで、多くのクリスチャンが聖書の教えのポイントとは全く関係ない事柄に熱心に取り組み、信仰の形骸化、宗教化が進み、その変わり果てた姿がキリスト教であると思い込んでしまっている傾向があるのです。
もし、あなたの信仰生活、日々の取り組みの中心が「キリストにあって一つのからだ」を建て上げることでないとしたら、私たちは神様の御心から離れ、自分勝手な(自分のイメージした)宗教に熱心になっているだけなのです。私たちの教会の礼拝、ミニストリー、様々な活動が、いかに直接的に「キリストにあって一つのからだ」の建て上げという目的に合致しているのか、していないのかをしっかりと精査することが重要です。あなたの考えている「教会らしさ」「クリスチャンらしさ」と、神様が求めている教会、クリスチャンの姿、生き方が違う可能性があることを知りましょう。
ライフチャーチ 大谷信道