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2021年4月13日(火)
ヨハネの手紙第一 4:20-21 20神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。21神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
【ポイント】 ①「目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」 大変重要なみことばです。なぜなら、「兄弟を愛することはできていないかもしれませんが、神様は愛しています。」というような感覚を持っているクリスチャンの方が少なくないと思うからです。つまり、複雑な要素が入り込んでいる人間を愛することよりも、神様を愛することのほうが簡単だと思っている人が多くいるということです。しかし、ヨハネはそのような勘違いを一刀両断にしているわけです。
この勘違いは、「神様の愛」の間違った理解から来ているのではないでしょうか。神様は、罪に堕ち、罪に汚れた人間を受け入れ、愛されることを決められました。神様が自分を愛してくださっているとは、人間的な感覚で言えば、最も嫌悪感を覚える相手、つまり一番嫌いな人を受け入れ、愛することを決めるようなことなのです。神様の自分に対する愛を理解できれば、同じ愛をもって隣人や兄弟姉妹を愛することが具体的にどのようなことであるのかを理解できるはずです。しかし、私たちにとって、隣人や兄弟姉妹は最も嫌悪感を覚える相手ではない場合がほとんどでしょう。ですから、ここでの兄弟姉妹とは、最も愛するのが難しい相手としてではなく、むしろその反対の対象として語られているのです。神様の目から見れな、私たちが兄弟姉妹を愛することは、愛の最初歩だと言ってもよいかもしれません。
さらに、今日の個所から分かることは、目に見える相手を愛することは、決して難しいことではないということです。聖書が教えている愛は「心の思い(情)」ではなく「行為」です。相手を愛することは、相手に何らかの具体的な行為、働きかけをすることですから、目に見えない相手を愛することよりも、目に見える相手を愛することのほうが簡単なわけです。それでは、具体的な愛の働きかけを考えてみましょう。あなたは、いくつ愛の行為を挙げることができるでしょうか。「相手に愛をことばで伝える」「相手と時間を共有する」「相手に優しく接する」「相手の話を丁寧に聴く」「相手を励ます・ほめる」「相手を手伝う」「真心をもって相手の間違いを指摘する」「相手を教え・育てる」「相手を赦す」「相手を受け入れる」などなど、たくさん思いつくのではないでしょうか。
それでは、目に見えない神様を愛するためにできる行為は何でしょうか。これについては、自分でしっかり考えてみましょう。考え始めれば分かりますが、やはり目に見える相手を愛するほうがずっと簡単だということが分かるはずです。
ですから、ヨハネの「目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」ということばは本当なのです。
ライフチャーチ 大谷信道