デイリーディボーション 4月15日(月)

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デイリーディボーション 4月15日(月)

2019年4月15日(月)
マルコによる福音書 3:20-22 20イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。21イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。22また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。
【ポイント】 ①イエス様の伝道の姿勢を知る 神様が御子を地上に遣わされてた目的については、ヨハネ3章16節などをみると分かりますね。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」つまり、病人の癒やしや悪霊の追い出しは、ご自身がメシアであることを証明する(告げ知らせる)ための手段であって、本当の目的ではなかったわけです。
しかし、愛のイエス様は癒やしを求める者を退けることなく、食事をする時間もないほど忙しく御業を行われたのです。恐らく、イエス様は「悟るところがなく、その心は堅く閉じていた」(マルコ6:52)人々が心を開き、イエス様がメシアであることを悟るためには、ご自身の愛とあわれみを具体的な形で表すことが重要であると考えておられたのでしょう。
このイエス様の姿勢から私たちが知るべきポイントは、イエス様はご自分がメシアであるという知識(情報)だけを伝達していたのではなく、先のヨハネ3章16節に記されている通り、神様の愛をも伝達されていたということです。どこか当たり前のように聞こえるかもしれません。しかし、私たちはどうでしょうか。私たちは、イエス様を知らない人々に福音を語るときに、彼らに愛とあわれみを覚えているでしょうか。機械的、事務的に福音についての知識を伝えていたり、上から目線で教えたりしてはいないでしょうか、期待通りの反応が得られないときに苛立ちを覚えたりすることはないでしょうか。イエス様の実際の姿から、伝道の方法ではなく、伝道の心(愛・あわれみ)をしっかりと学んでみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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