誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2021年4月16日(金)
ヨハネの手紙第一 5:6-9 6このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。7あかしするものが三つあります。8御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。9もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。
【ポイント】 ①福音は「おとぎ話」でも「作り話」でもない もし、イエス・キリストの福音が、他の宗教の神話のようなファンタジーであったとしたら、私たちがイエス様の命令に真剣に従う必要はなくなります。というのも、この世には子どもに倫理や道徳を教えるための物語はあります。例えば、「浦島太郎」でも「舌切り雀」の物語でも良いのですが、そこには謙虚であることや他者に親切にすることの大切さを見出すことができますが、そこで語られている話を絶対的な命令として受け取る人はほとんどいないことでしょう。
ですから、ヨハネは私たちがイエス様の命令に真剣に従うべき理由として「このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。」と語っているのです。これは、イエス様は、フィクションやファンタジーの登場人物でく、人間と同じ肉体を持ちこの世に現れ、ヨハネはその人物に実際にバプテスマ(水)を授け、その肉体は多くの人の前で実際に十字架につけられ、血を流され、死なれ、復活されたという意味なのです。
実態も根拠もないある種のファンタジーを信じること、科学では証明できないことを信じるのが宗教(信仰)だと思い込んでいる人が多くいます。しかし、少なくともキリスト教の信仰はそのようなものではありません。キリスト教の信仰は、事実と証拠(証し)に基づく信仰であることを忘れてはなりません。更に言えば、聖書は、実態も根拠もないようなファンタジーを信じてはならないと教えているとも言えるのです。ヨハネの手紙の書き出しをもう一度確認してみましょう。ヨハネは、人々がファンタジーを信じるように洗脳しているのではありません。その正反対のアプローチ、つまり事実と証拠をもってイエス・キリストの福音を伝えているのです。それが彼の「水と血」の意味なのです。
1ヨハネ1:1-2 1初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、2――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――
ライフチャーチ 大谷信道