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2020年4月17日(金)
テモテへの手紙 第一 5:24-25 24ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。25同じように、良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでない場合でも、いつまでも隠れたままでいることはありません。
【ポイント】 ①「あとで明らかになります」の重要さを知る まず、パウロが「閻魔大王」的な話をしていることではないこと理解しましょう。もちろん、キリストのさばきの日については、パウロは「16私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです。」(ローマ2:16)と教えています。しかし、その日を待たなくても、私たちがキリストの福音に従って生きれば、かならず「愛の実」を結ぶことになるのです。そして、それがいかにも聖書的、正論に聞こえたとしても、キリストの福音(御霊の)導きに従っていない場合は肉の実を結んでしまうのです(ガラテヤ5章)。
さらに、重要なことは、繰り返し学んでいるように、これは「教会形成」「キリストのからだの建て上げ」についての教えであるということです。キリストのからだの建て上げにコミットしない人には、そこに深い人間関係が生まれません。「御霊の実(特に愛の実)」は、人と人の関りの間に結ぶものだからです。イエス様の「互いに愛し合いなさい」という命令にコミットすれば、そこには人と人の深いかかわりが生まれ、自分がイエス様の命令に忠実に歩めているのかをの確認することもできるでしょう。
ですから、私はライフチャーチに集まるすべての人、地上のすべてのクリスチャンに、キリストのからだの建て上げに深くかかわることを奨めるのです。そうでなければ、これらのパウロの教えは、私たちに全く関係の無いメッセージになってしまうからです。そもそも、イエス様の命令にも不従順にであることになります。
そして、キリストのからだの建て上げに深く関わる中で、自分の信仰の歩みが教会全体に「御霊の実」を結ぶことにつながっているのが、「肉の実」を結ぶことになっているのかを、注意深く振り返るのです。そこで、私たちの歩みが明らかにされ、本当の意味での「信仰の成長」を見ることができるのです。
ライフチャーチ 大谷信道