デイリーディボーション 4月18日(土)

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デイリーディボーション 4月18日(土)

2020年4月18日(土)
テモテへの手紙 第一 6:1-2 1くびきの下にある奴隷は、自分の主人を十分に尊敬すべき人だと考えなさい。それは神の御名と教えとがそしられないためです。2信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい。なぜなら、その良い奉仕から益を受けるのは信者であり、愛されている人だからです。あなたは、これらのことを教え、また勧めなさい。
【ポイント】 ①「パラダイムチェンジ」を体験する あるネット辞書には「パラダイムチェンジ」という語句の説明が次のように記されていました。「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。」
だとすると、イエス・キリストを信じる時の経験こそ、私たちの「パラダイムチェンジ」だと言えないでしょうか。なぜなら、私たちの信仰とは、時代、国、人種、民族などに関係なく、それまでとは全く別、全く逆の価値観の中に生きる選択をすることだからです。イエス様の福音の招きを見てみましょう。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16:24-25) さらに、イエス様の命令を聞いてみましょう。「37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:37-40)イエス様は、私たちをそれまでとは全く違う価値観の中に招かれていることが良く分かると思います。
ですから、この世にありがちな宗教的感覚に縛られているクリスチャンに対し、パウロは「20もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、21『すがるな。味わうな。さわるな』というような定めに縛られるのですか。」(コロサイ2:20-21)と語っているのです。
人間関係においても同じです。奴隷たちは、イエス・キリストを信じることによって神の子とされたことを信じましたから、自分の主人と奴隷である自分は神様の目には完全に平等であることを知りました。これは「パラダイムチェンジ」の第一段階でした。しかし、奴隷の中には「主人が兄弟だからといって軽く見る」ような者が出てきてしまったようです。ここで、パウロは「パラダイムチェンジ」の第二段階を教えています。それは、主人と奴隷という関係が消え去ったとしても、自分の主人を自分の兄弟として愛し、仕えるという価値観です。「結局奴隷は奴隷として主人に仕え続けなければならないのか、前と同じじゃないか」と考える人がいるかもしれませんが、そうではありません。本当の意味で、神の国の価値観の中に生きるのであれば、奴隷は主人に仕え、主人は奴隷に仕えることになるのです。その関係は以前の価値観の延長ではありません。イエス・キリストによって明らかにされ、与えらえた、全く新しい価値観の中の新しい関係なのです。
私たちも、夫婦、親子、主にある兄弟姉妹についての、全く新し価値観、そこから生まれる関係性が与えられています。それは先入観、既成概念として持っているクリスチャンの姿、教会のイメージ、信仰の成長のイメージとは全く違う可能性があるのです。キリストの福音による新しい価値観、新しい「パラダイム」の中に生き続けようではありませんか!
ライフチャーチ 大谷信道


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