デイリーディボーション 4月19日(火)

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デイリーディボーション 4月19日(火)

2022年4月19日(火)
マタイの福音書 23章25-28節 25わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。26目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。27わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。28そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
【ポイント】 ①パリサイ人の問題点を正確に理解する その4 パリサイ人は聖書(律法・預言)を大切にする、大変信仰熱心な人々として、人々からの尊敬を集めていました。しかし、イエス様(天の父)の視点から見ると、それは極めて表面的でその内側に信仰とは全く別のものが見えたのです。もちろん、すべてのパリサイ人がそうだったわけではありませんが、おそらくパリサイ派の中心的な役割を果たしていた人々の多くが、表面的な信仰熱心さとは正反対の「強奪」「放縦」「汚れ」に満ちていたのです。
現代社会における「民主主義」「自由主義経済」を推し進める人々(国々)にも同じような傾向を見ることができます。ある国が「民主主義」「自由主義経済」を取り入れたとします。その時に、私たちは「やっとあの国も民主化できた!」と喜ぶかもしれません。しかし、もっと喜んでいるのは、その国で自由に物を売ったり、安く資源を手に入れられるようになった企業、その企業から税収を得る国なのではないでしょうか。つまり、「民主主義」「自由主義経済」は「外側だけきよめられた杯や皿」「白く塗った墓」であり、その内側には「強奪」「放縦」に満ちている可能性があるということです。他国を寛容に援助しているように見えるけれども、その先にはきちんと自国の利益が確保されているのです。
もちろん、パリサイ人の中に神様を愛し、神様の御心に忠実だった人々がいたように、「民主主義」「自由主義経済」を推し進めるすべての人が自己の利益だけを考えているわけではありませんし、それを悪を呼ぶ必要もありません。しかし、私たち一般市民は、この世で「正しいこと(正義)」だと考えられている常識について疑い、それらが「外側だけきよめられた杯や皿」「白く塗った墓」ではないかを検証する責任があることを忘れてはなりません。
キリスト教会についても全く同じことが言えます。私たちクリスチャンはこの点について決してナイーブであってはならないのです。今日のみことばを語られたイエス様を信じるのであれば、すべてのクリスチャンは「キリスト教」「キリスト教会」が「外側だけきよめられた杯や皿」「白く塗った墓」の状態に陥っていることはないか精査する責任がイエス様によって与えられているからです。クリスチャンとしての「常識」「当たり前」を疑い、それが本当にイエス様のみことばと合致しているのかをしっかりと考えるのです。
普通に考えたら「おかしなこと」がまかり通っているのではないでしょうか。例えば、マタイの福音書26章53節のイエス様のことばを見てみましょう。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」世界中での戦争や、銃規制などの問題を考えるときに、いかにこの世のクリスチャンがイエス様のみことばに平然と背きながら、その意識すらなく過ごしているのかを考えてみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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