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2019年4月2日(火)
ガラテヤ人への手紙 6:2 2互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
【ポイント】 ①本当に大切なことを間違えない 続けて「ユダヤ主義者の問題」という文脈から離れずに考えていきましょう。ユダヤ主義的クリスチャンたちは「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(使徒15:1)と、救いの条件としてユダヤ人(ユダヤ教徒)になるように教えていました。その本質は律法の遵守を教えていたパリサイ派の教えに大変良く似ています。そして、イエス様はパリサイ人達を次のように厳しく非難しました。「また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。」(マタイ23:4)
そのような背景から、今日のパウロの教えも、昨日と同じように単なる倫理的な教えでは無いことが分かります。ユダヤ主義が教会の中に入り込むと、指導者たちは人々に律法の遵守を命令するわけですが、純粋な人々は律法を守ろうと必死に頑張ってしまいます。しかし、イエス様は、そのような行為は、ただ人々の肩に重荷を載せる以外の何ものでもないと教えられたのです。律法を100%守ることは不可能なわけですから、人々は重荷に押しつぶされるだけの結果となってしまうのです。
ですから、「互いの重荷を負い合い」とは、ユダヤ主義者(かつてのパリサイ人)の教えと決別し、虚しいモーセの律法の遵守をやめ、イエス・キリストの律法を守ることを意味しているのです。すなわち、「34あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)というイエス様の律法です。
ユダヤ主義者の教えでは、絶対にイエス様の律法を全うすること、愛の実が結ぶこと、キリストのからだが建て上げられることは無いのです。パウロはガラテヤ教会のクリスチャンがこのことに気づき、パウロの命令によってではなく、自らの判断でユダヤ主義たちと決別することを望んでいたのでしょう。ガラテヤ教会のクリスチャンがイエス様のみことばに従い、互いの重荷を負い、互いに愛し合うことを始めれば、ユダヤ主義などの間違った教えが入り込む余地がなくなるからです。
ライフチャーチ 大谷信道