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2020年4月21日(火)
テモテへの手紙 第一 6:6-10 6しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。7私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。{それは明らかです。}8衣食があれば、それで満足すべきです。9金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。10金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
【ポイント】 ①神様の愛のみが私たちの心を満たすことができることを知り、信じる 多くの人にとって「宗教」は、自分の心を満たすための道具です。ですから、ライフチャーチでは、神様を自分の心を満たすために利用している人、それを助長することによって信者を獲得している団体の信仰のあり方を、「宗教」と呼ぶことにしています(決して「宗教」という単語に悪い意味が含まれているわけではなく、聖書が教える純粋な「信仰」と区別するためです)。
私たちの信仰が、悪い意味での「宗教」に陥らないようにするためには、今日のポイントをしっかりと押さえる必要があります。つまり、もしあなたが自分の心を満たしを求めるのであれば、以前自分の心を満たすものだと信じていたものを捨て、神様の愛に身を委ねることを覚える必要があるということです。
この世のビジネスは、人々の「欲望・欲求(ニーズ)」を満たすことによって「対価」をもらうという構造になっています。そこには、人々の生活を助けたり、便利にしたりする良いものありますから、この構造そのものが悪(罪)なわけではありません。しかし、問題は、人々がこの構造にあまりにも深く親しみすぎていて、信仰の領域においても、信仰、献身(献金)、奉仕、学びなどが自分の欲求を満たすための祝福を受けるための対価となってしまっていることに罪悪感や違和感を感じなくなってしまっているクリスチャンが少なくないことなのです。
ですから、この世のビジネス的な構造(感覚)が信仰の領域に入り込んだときに、私たちのイエス・キリストを信じる信仰でさえも「宗教」に成り下がる危険性があることを知らなくてはならないのです。自分の信仰がこの世の「宗教」に陥っていないかどうかを確認することは簡単です。自分が何に喜びや満足を覚えているのか、反対に、自分が何に不満、不満足を覚えているのかを考えればよいのです。
あなたの喜びや満足の源が「お金」になっていることはありませんか。経済的に満たされ、安定していることが心の平安の土台になっていることはありませんか。神様に喜びや感謝をささげられているのは、経済的に満たされているからではありませんか。
反対に、あなたが喜びや満足感を覚えていない理由は「お金」ではありませんか。一番の不安や不満の原因が、自分の望む経済状況になっていないことではありませんか。神様に喜びや感謝がささげられないのは、経済的に満たされていないからではありませんか。
「お金」は一例です。「健康」「学歴」「職歴」「地位」「人からの尊敬・称賛」「結婚相手」「子ども・孫」など、人が心に喜び、満足、平安を覚える要素はたくさんあります。
しかし、私たちの心を本当に満たすことができるのは「神様の愛」だけなのです。実はクリスチャンであっても、この「真理」を知らないまま、または、経験しないまま生きています。ですから、普段の生活の中での不満、不安、いらだちなどが絶えないのです。ここでの悲劇は「神様が私を愛しているのであれば、私の欲求を満たしてくれるはず」と信じているので、すでにいただいている「神様の愛」を全く感じることができないのです。また、「神様が私を愛してくださらない(欲求を満たしてくれない)理由は私の頑張りが不十分だからではないか」と考え、宗教活動に熱心に取り組む人もいるかもしれません。この負のスパイラルが「宗教」を産み出すのです。
神様は、すでにあなたを愛し、受け入れ、ご自分の子どもとしてくださっています。神様はご自分の愛によって、すべての人間の心が満たされ、平安が与えられることを知っています。なぜなら、神様が人間の心を創造されたからです。ですから、私たちは、「欲望・欲求の実現による心の満たし」という罪の性質に支配された感覚を捨て、「神様の愛」によって心が満たされることを覚えなければならないのです。
「5この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)
ライフチャーチ 大谷信道