デイリーディボーション 4月23日(火)

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デイリーディボーション 4月23日(火)

2019年4月23日(火)
マルコによる福音書 4:13-15 16同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、17根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
【ポイント】 ①信仰(救い)のステップを必要以上に単純化しない。 アメリカ経由の伝道方法の中には、信仰決心のプロセスをあまりにも単純化したものが存在すると感じています。例えば、ローマ人への手紙10章10節の「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」というみことばをベースにして、「今、イエス・キリストをあなたの救い主として信じるのなら、この祈りを一緒に祈りましょう!」と、トラクトなどに書かれている祈りの文章を唱和したら、それが「口での告白して救われる」ことになるというような方法(教え)です。しかし、そのような伝道方法は、形を変えた「律法主義」に陥る危険性を持っていることを知っている必要があります。つまり、Aという特定の行為がBという神様からの祝福を受けることができる(A=B)というような、神様との関係や交わりとは関係のない方程式が信仰のベースになってしまう危険性です。
実際の信仰へのプロセスは、もっと複雑であり、方程式通りに進むものでないことが今日のイエス様のことばからわかります。イエス様は、みことばを喜んで受け入れる人の中には、後でつまずいてしまう人がいるという現実を教えられています。イエス様はご自身のみことばが「種」だと教えられているわけですが、それは誰かを信仰に導きたいと思うのであれば、その人が福音の種を「すぐに喜んで受けた」としても、それは必ずしも豊かな実を結ぶサインではないことを知っている必要があるということです。昨日も学びましたが、その人が本当にイエス様のみことばを受け、イエス様を愛し、イエス様に従って生活する姿(結実)を確認して初めて、私たちはその人(または自分)の救いに確信を持つべきなのです。また、その人にもきちんとイエス様が教えられている信仰(救い)のステップを最初から教えることも重要ですね。
もちろん、イエス様の「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24)というイエス様の招きを聞いてすぐに、イエス様に従う決意をし、自分の生き方を根本から変える行動を始める方もいらっしゃるでしょう。しかし、すべての人がそうであるわけではありません。現実には、17節にある通り「根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」という人がいるのです。
しかし、「つまずき」は「失格」を意味しているわけではないことを、私たちは使徒ペテロから学ぶ事ができます。イエス様のために命まで捨てる覚悟をしていたペテロでさえ、自分の命の危険を感じたときに逃げてしまったのです(マタイ26章)。しかし、イエス様はつまずいてしまったペテロを愛し、続けて用い続けられたのです。ペテロもこのつまずきの経験によって、イエス様への信仰と愛を深めることができたと思われます(ヨハネ21章)。
ですから、私たちは恐れることなく、イエス様のみことばの種が、自分の中でしっかりと根を張っているのかを確認してみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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