デイリーディボーション 4月24日(土)

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デイリーディボーション 4月24日(土)

2021年4月24日(土)
ヨハネの手紙第二 1:1-3 1長老から、選ばれた夫人とその子どもたちへ。私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけでなく、真理を知っている人々がみな、そうです。2このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。そして真理はいつまでも私たちとともにあります。3真理と愛のうちに、父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。
【ポイント】 ①恵とあわれみと平安を受けたければ... 第二の手紙も、ヨハネのポイントは第一の手紙と一貫していることが今日の個所から分かります。3節を見てみましょう。「3真理と愛のうちに、父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。」「真理」とはイエス・キリストご自身であり、そのみことばです。キリストとそのみことばを信じる者は、自分がキリストに愛されていることを信じ者であり、キリストを愛する者です。そして、キリストを愛する者は、その命令である「神を愛すること」「隣人を愛すること」に熱心に取り組むのです。この状態が「真理と愛のうちに」ということばで表現されているわけです。
そして、「真理と愛のうちに」あるものは、「父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安」を味わうことができるのです。
「恵み」「あわれみ」「平安」は誰でもが求めているものです。しかし、私たちの多くのがその求め方や、順番を間違ってしまっているのです。これまで、繰り返し学んできたように、私たちがなすべきことは、イエス様との愛の関係を築くこと、そしてイエス様の命令に従い隣人への愛を実践することです。ただ、受けることだけを期待していても、「恵み」「あわれみ」「平安」を味わうことはできないということなのです。
「受けること」「与えられること」ばかりを考えている人は、イエス様が教えられたとおりに「発想の転換」を行いましょう。つまり、「〇〇をください」「〇〇してください」という受け身の信仰から、「愛を注ぐ」「愛を与える」という能動的な信仰に切り替えるのです。最初は、義務的に行ってもよいかもしれません。しかし、不思議なことに、私たちが神様と隣人に愛を注ぎ始めると、そこに今までの受動的な信仰の中では体験したことがなかった喜びを感じるようになるのです。子どもにせがまれて犬を飼い始めたら、犬に全く興味の無かった親のほうが、その犬に愛情を注ぐようになるというような話をよく聞くものです。イエス様の命令も同じです。義務感を覚えながらでも愛を実践してみればよいのです。それは決して重荷とはならないのです(1ヨハネ5:3)。
ライフチャーチ 大谷信道


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