デイリーディボーション 4月26日(木)

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デイリーディボーション 4月26日(木)

2018年4月26日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 13:8-10
8だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。9「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。10愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

【ポイント】
①愛の具体的な実践について考える
9節を見てみましょう。『「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』ということばの中に要約されているからです。」お気づきのように、これはイエス様がマタイ22章で教えられていることと完全に一致します。「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

聖書を学ぶ者、聖書を神のことばと信じるすべての人が取り組むべき事柄は、「神を愛すること」と「隣人を愛する」という愛の実践の一点だけなのです。なぜなら愛の実践を伴わない聖書の学びは聖書そのものを無視することになってしまうからです。もし、現実としては聖書の学びが愛の実践とは関係ない形で行われている現実があるとすれば、私たちクリスチャンはその事実を謙虚に認め、イエス様の「愛の実践」の命令に素直に従う必要があるのではないでしょうか。

ライフチャーチの4月メッセージテーマは「ともに聖書を学ぼう!」というものでしたね。なぜ「とも」なのか?それは「愛の実践」は一人ではできないからです。つまり、聖書は家で一人で学ぶことは、ことわざで言えば「畳の上の水連」なのです。つまり、家で泳ぎ方を勉強したり、床の上で泳ぎ方真似たとしても、実際に水の中で泳げるようになるわけではないということです。もちろん、水の中で泳ぎ始めれば、家で学んだことは大いに役に立つことでしょう。しかし、実践を伴わない学びは、それだけでは役に立たないのです。同じように、神様の愛、隣人愛について何時間も講義できるほどの知識を持っていたとしても、その愛を家庭、教会で実践していなければ、ほぼ意味の無い知識、無駄な知識となってしまうのです。しかし、愛の実践を始めれば、机の上で得た知識が役に立ち、より多くの愛の実践方法を思いつくことができることでしょう。

そのようなわけで、本当の聖書の学びをしたいと思うのであれば、毎日の生活の中でどのように愛の実践を行うことができるのかを考え、行ってみることが大切です。家庭での「朝のあいさつ」一つでさえ、自分の夫、妻、子ども、親に自分の愛を表現するために「どのような声の大きさ」「どのようなテンション」「どのような表情」で「おはよう!」のひとことを相手に言うのか取り組むことができるのです。

そのように考えていくと、生活のあらゆる場面で愛の実践のためのチャレンジを見出すことができるはずです。しっかりと取り組んで行きましょう!

ライフチャーチ
大谷信道


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