デイリーディボーション 4月26日(火)

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デイリーディボーション 4月26日(火)

2022年4月26日(火)
マタイの福音書 24章1-236節 1イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。2そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
【ポイント】 ①ライフチャーチに集まる方々は「教会堂」が信仰に不可欠な要素ではないことを体験してきたと思います。そして、コロナ禍にあって礼拝堂に集まって賛美や礼拝をささげることが難しい状況になったために、多くのクリスチャンも「教会堂」がなくても、「霊とまことと」をもって礼拝することが出来ること、その大切さを体験することが出来るようになりました。
これは、仏教や神道では考えられないことでしょう。神社仏閣といった「境内」「建物」がなければ、ご利益がないと感じる人がほとんどだと思います。そして、イエス様の時代のユダヤ人にとっても「神殿」は極めて重要なものだったわけです。ローマ帝国の支配の中にあって「神殿」は民族としてのシンボルであり、アイデンティティーであり、誇りであったのです。日本中から神社仏閣が消え去ったとしたら、その国が日本ではなくなってしまう、自分が日本人ではなくなってしまうと感じる人もいるかもしれません。カトリックの影響を強く受けている国では、大聖堂が無くなったら同じように感じることでしょう。
ですから、イエス様の今日のことばを聞いたユダヤ人がどれほど動揺し、困惑し、怒りを覚えたのかは想像に難くありませんね。弟子たちは、その後に再建される新しいエルサレムを期待していたでしょうから、その時を心待ちにしていたかもしれませんが、一般のユダヤ人にとっては赦しがたい発言だったわけです。
しかし、イエス様は、私たちが礼拝・賛美を行う上で、建物も境内地も重要な要素ではないことを明らかにされました。
ヨハネの福音書4:21-24節 21イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。22救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。23しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。24神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
私たちは、イエス様のことばの通りに礼拝しているでしょうか。何の考えもなしに、エルサレムを「聖地」などと呼んでいることはないでしょうか。すべてのクリスチャンがこのイエス様のことばに忠実であったとしたら、どれほど無駄な戦争や争いを回避できたことでしょうか。どれほど神の名が政治的に利用され、プロパガンダが作られ、多くの人のいのちが無駄に消費されてきたのかを考えてみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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