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2020年4月27日(月)
テモテへの手紙 第二 1:1-2 1神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、2愛する子テモテへ。父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。
【ポイント】 ①「主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように」 イエス様の恵みは、私たちを「律法主義的」な感覚から自由にします。つまり、私たちの「努力」や「正しい行い」によって罪の救いや神様から寵愛を獲得するという間違った感覚です。クリスチャンになっても、自分の不完全さ(残っている罪の性質)のために、自分は神様から100%愛されていないのではないかという不安を持っている人が大変多くいます。しかし、間違った感覚を持っている限り、常に心に不安があるので、神様が与えようとしている「平安」を味わうことはできません。
神様は、罪の中に滅び、罪の中で苦しむ私たちを「あわれみ」、恵みとして私たちを愛することを決められたのです。分かりやすい例は、ルカの福音書15章の「放蕩息子のたとえ」ですね。神様は、放蕩息子が父親のもとに帰り、味わった真の平安を私たちが知り、味わうことを望まれているのです。
あなたは、イエス様によって与えられる「恵みとあわれみと平安」を味わっていますか。特に、コロナウイルスの蔓延によって、大きな不安や恐れを感じている方がたくさんいらっしゃると思います。もちろん、コロナウイルスの問題が解決されるように神様に祈ることもできるでしょう。でも、それでは、自分が平安を感じられる条件を神様に求めている(要求している)ことにはならないでしょうか。むしろ、私たちの祈りは、問題の最中にあっても、私たちがイエス様の名によって恵みとあわれみを覚え、平安を味わい続けることではないでしょうか。
自分の「平安のルール」「平安の条件」を決めてしまうと、神様が与えようとされている「主キリスト・イエスの、恵みとあわれみと平安」を味わい損ねてしまう可能性があるのです。あなたは大丈夫ですか?
ライフチャーチ 大谷信道