デイリーディボーション 4月27日(火)

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デイリーディボーション 4月27日(火)

2021年4月27日(火)
ヨハネの手紙第二 1:5-6 5そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。 6愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。
【ポイント】 ①「真理」は宗教的な特別な知識ではない その2 今日の個所から、4節にあった「御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる」の「真理のうち」の内容が明らかになります。言うまでもなく 「命令」とは「互いに愛し合うこと」です。さらに6節の「命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです」という箇所と4節を重ね合わせてみると、4節の「真理のうちを歩む」とは「愛のうちを歩む」ことであることが分かります。
つまり、イエス様の命令は、イエス様の真理であり、それは「愛のうちを歩むこと」なのです。繰り返しになりますが、イエス様の真理とは、何か特別な知識ではなく、一度でも福音書をよめば誰でもが理解できる、「神様の愛のうちを歩むこと」であり、その具体的な実践は神様を愛し、隣人を愛することなのです。
これは、皆さんが常に教会の牧師たちや、皆さんが参加するキリスト教のイベントのスピーカーによって語られるメッセージでしょうか。これは、皆さんが、読んでいるキリスト教書の内容でしょうか。もし、そうでないとしたら、現代のキリスト教会が「真理」から離れたり、「真理」に聞き飽きてしまっていることになるのではないでしょうか。
もし、「真理」、つまり「愛の実践の命令」に聞き飽きてしまっているとしたら、それは、ただ聞いているだけで、愛を実践していない証拠です。なぜなら、神様の真理が古くなったり、つまらなくなったりするはずがないからです。また、1ヨハネ4章12節には「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」とありますから、「真理」に飽きるとは、神様を見ることに飽きること、神様の臨在に飽きることになってしまうのです。
しかし、真理である愛の実践に疲れたり、飽きてしまうことは絶対にないのです。なぜなら、使徒パウロが次のように説明している通りだからです。
エペソ3章17節 17こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、18すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
「愛」について頭の中だけで勉強している人はいませんか? パウロは「愛に根ざし」「愛に基礎を置く」という、愛の実践を通して、神様の愛をさらに深く体験し、満たされていくと説明しているのです。「人知をはるかに越えたキリストの愛」に数年、数十年で飽きてしまうことなど絶対にないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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