デイリーディボーション 4月28日(水)

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デイリーディボーション 4月28日(水)

2021年4月28日(水)
ヨハネの手紙第二 1:7 7なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。
【ポイント】 ①「人を惑わす者」は他人事ではない 非常に胸の痛む状況です。ヨハネは教会の中に偽教師が入り込み、その教えの影響を受け「イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者」が大ぜい産み出され、それらの人々が教会から出て行ってしまったと言っているからです。しかし、この状況は決して他人事ではないのです。現代の教会・クリスチャンの中にも、間違った教えの影響を受けてしまっているクリスチャン、またそのことに気が付いてもいないクリスチャンが大勢いるのです。私が心に痛みを覚える理由は、むしろそこにあるのです。多くのクリスチャンが「真理」に興味を失い、「祝福(ご利益)」を得ることばかりに熱心になっているのに、それが間違いであることに気が付かないほど、間違った教えが蔓延してしまっているからです。
この「イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者」とは、決して「反キリスト」とか「キリスト教の迫害者」などではありません。この点について、勘違いしている人が多いのではないでしょうか。「キリストが人として来られた」とは、誰でもが自分の目で見ることができ、自分の頭で理解できるような方法で神様の愛を体現されたということです。さらに、「キリストが人として来られた」とは、人間が人間を愛し、愛の関係を築くことができるように、キリストとも実態のある愛の関係を築くことができることを意味しています。私たちはファンタジーの主人公を大好きになっているのではなく、実際に存在された方を愛しているのです。
さらに、私たちが実在された方を愛しているということは、その方のことばを「理想」や「思想」として観念的に受け入れているのではなく、自分に直接向けられた命令として受けているのです。ですから、反対に「イエス・キリストが人として来られたことを告白する者」とは、キリストの命令に忠実に従い、互いに愛し合うことに全力で取り組んでいる者であるはずなのです。
ですから、もし、現代のクリスチャンである私たちが、教会において、家庭において、イエス様の愛をもって互いに愛し合うことに熱心に取り組んでいないとしたら、私たちも「イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者」と大差のない、キリストに不誠実な者となってしまうということです。しかし、このポイントに気づかず、自分の祝福やご利益ばかり求める「宗教としてのキリスト教」に熱心になっているクリスチャンが多いのです。不幸なことに、そのような人々は、「ご利益を信じること」が信仰的であると思い込んでしまっているのです。
自分の日々の祈りをチェックしてみましょう。祈りの内容が「お願い」「求め」ばかりになっているとしたら要注意です。たとえば、「今日もあなたを愛します!」「今日もあなたに従います!」「今日も主にある兄弟姉妹を愛します(赦します・受け入れます・尊敬します・重荷を負い合います)!」というようなイエス様からの命令にたいする応答は入っていますか?
ライフチャーチ 大谷信道


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