デイリーディボーション 4月28日(金)

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デイリーディボーション 4月28日(金)

2023年4月28日(金)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 12章8-10節 8勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。10兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
①愛の賜物を熱心に求める クリスチャンの信仰の歩みが健全であるか否かを確認することは非常に簡単です。それは、私たちが「クリスチャン」という名にふさわしく、キリストのみことば(命令)に従っているか否かを確認するだけです。しかし、これほど簡単な確認なのですが、残念なことに非常に多くのクリスチャンが行っていないのです。
不健全な信仰の歩みに陥っている代表的な症状は「自分のことで頭がいっぱい」という状態です。つまり、自分が祝福を受けること、自分の信仰が強められること、自分の求める賜物が与えられること、自分が他のクリスチャンよりも霊的でありたいということ、自分が他のクリスチャンよりも、神様、そして牧師の寵愛を受けたい(特別扱いされたい)と思うことなど、この世の人たちの大きく変わらない、自分の欲求、欲望を満たすことで頭がいっぱいになっている状態です。
パウロは6節から賜物とその用い方について大変分かりやすく教えていますが、すべての賜物は自分以外の人に仕えることがわかります。さらに、今日の個所から、賜物の実践は、自分以外の人への愛の実践であることが分かります。
これらのポイントを正しく理解していれば、自分の信仰の歩み、自分の教会、教派の信仰が健全であるのか、またはイエス様の命令から逸れ、自分の欲求や欲望を満たすという肉的な信仰に陥ってしまっているのかを判断することができます。
これらの勘違いの根底には「自分の欲求や欲望が満たされることが祝福(幸せ)」という、思い込みがあります。ある意味、信仰のスタート地点から間違ってしまっているということができます。そして、そのような思い込みをさせる原因を作っているのは、牧師たちなのです。神様ではなく、肉的な感覚をもった人々を喜ばすことを語れば、多くの人がそれに食いつくことを知っているのです。そのような牧師たちは、「一人でも多くの人に福音を伝えたい!」という大義名分を用いながら、実際には信徒が大勢いる教会の牧師になるという「自己実現・夢の実現」のために熱心になっているのです。そのような意味では、まず私たち牧師が、キリストの前で健全な歩みをしているのかを振り返らなければならないのです。
私たちクリスチャンが熱心になるべきことは、今日のみことば、さらに下のみことばを読めば明らかなのです。
ルカの福音書9章23-24節 23イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。24自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。
マタイによる福音書22章37-40節 37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
ライフチャーチ 大谷信道


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