誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2021年4月3日(土)
ヨハネの手紙第一 4:10 10私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
【ポイント】 ①神様の愛を素直に受ける 神様はは、「愛を受けること」「他者を愛すること」によって、平安(情緒の安定)、喜びを感じる生き物として人間を創造されました。創世記1章26節にこのように記されています。「26神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』」今日の個所から、神様は「人間を愛すること」「人間から愛されること」を喜びとする方であることが分かります。ですから、神に似たものとして造られた人間も、「愛されること」「愛すること」に喜びを覚えるのです。
しかし、ここに大きな問題があります。地上において、人間は誰かから愛される保証がないということです。親からの無償の愛を受け取ることができていない子どもたちがどれほど多くいるでしょうか。親からの愛によって心に平安と喜びが満たされるという経験ない人は、親から傷つけられている人は、愛によって心が満たされることがどういう感じなのかを想像できなかったり、そのようなことが自分にも起こることを信じられなかったりするようです。
親子関係が良好に見える家庭に育ったとしても、「良い子にしていないと愛してもらえない。」「成績が悪いと愛してもらえない」など、親の期待に応えなければ親からの100%の愛を受けることができないと思っている人、常に親の目(親からの評価)を気にしてしまう人は少なくありません。そして、この関係を天の父に当てはめてしまい、自分は神様の期待に応えていないので、100%愛されていない(愛されるはずがない)という感覚を持ちながらクリスチャン生活を続けている人が少なくないのです。そのような状態では、人間は不安や恐れを感じますし、愛されたいという欲求から、神様の期待に応えるために頑張ってしまったり、それに疲れたりしてしまうのです。
神様の愛を、自分の親と同じ程度に考えているとしたら、それは全くの勘違いです。神様は、罪深く、不完全なあなたを今日も変わらずに愛し、抱きしめ、かわいがってくれています。この愛は、あなたの親、配偶者の愛、そしてあなたの自分に対する愛とは全く次元が違う大きなものです。私たちは心を開き、罪深く不完全な自分を神様が愛してくださっていることを素直に信じ、受け入れる必要があります。
あなたは、神様の信じられないほど大きな愛を信じますか?
ライフチャーチ 大谷信道