デイリーディボーション 4月3日(水)

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デイリーディボーション 4月3日(水)

2019年4月3日(水)
ガラテヤ人への手紙 6:3-5 3だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。4おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。5人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。
【ポイント】 ①本当に大切なことを間違えない ーその2- 今日の箇所から、ガラテヤの教会に入り込んでしまったユダヤ主義者たちには「りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思う」というような傾向があったことが分かります。これも、パリサイ派のユダヤ教徒にも見ることができる特徴でした。昨日に続き、マタイ23章からイエス様のことばを引用します。「5彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。6また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、7広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。」
今日の箇所からも、パウロがガラテヤの教会のクリスチャンたちに、誰が純粋なクリスチャン(教師)で誰が見せかけだけのクリスチャン(偽教師)であるかを見分ける事ができるようになることを願っていることが分かります。そして、この願いは、現代のクリスチャンにも向けられているのです。残念ながら、クリスチャンの中には、他の人よりも高い地位を得たいという欲求を満たすために、牧師、教師、執事の職を求める人がいるようです。さらに残念なことは、牧師、教師、執事を何か偉い人かのように扱ったり、持ち上げる信徒がいることです。しかし、これらの感覚自体がイエス様の御心に反していることを知らなくてはなりません。マタイ23章はこのように続きます。「11あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。12だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」
私たちすべての人間は、多かれ少なかれ「承認欲求」「自己顕示欲」を持っています。つまり、自分がより優れたものであることを知ってもらいたい、自分の喜び、悩み、悲しみを多くの人に知って欲しいというような欲求から来るものです。この欲求を満たす最善の方法、この欲求から開放される唯一の方法は、神様の愛、キリストに愛に満たされることです。神様が自分のすべてを知ってくださり、自分のすべてを受け入れてくださっていることを心で信じ、そこに真の喜びを覚える人は、承認欲求、自己顕示欲などから開放され、自由にされるのです。
私たちは、この「承認欲求、自己顕示欲から自由にされる」という一つのゴールに向かって日々歩むのです。しかし、そこには「神様の愛を頭では理解しているけれども、やっぱりこの世の人からも認められたい。」という誘惑と葛藤がつきまといます。しかし、この誘惑の構図を知っていれば、承認欲求が満たされずに欲求不満を覚える時に、「でも神様は分かってくれているから大丈夫!」と自分の揺れる心を戒め、励ますことができるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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