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2022年4月4日(月)
マタイの福音書 23章1-3節 1そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、2こう言われた。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。3ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
【ポイント】 ①パリサイ人は私たちの反面教師であり、私たち自身でもある ライフチャーチでは繰り返しお話していますが、現代の熱心な福音主義的(原理主義的)なクリスチャンはイエス様の時代のパリサイ人に酷似しています。残念ながら「福音主義的な教え」がイエス様の時代にパリサイ人が教えていた「昔の人々(長老たち)の言い伝え」のようになってしまっている傾向があります。福音主義(原理主義)を大切にする神学者・牧師・教師・信徒がある程度共有している「聖書の適用」があるわけですが、それらが絶対化とまでは言わなくとも、それに近い形で受け入れられている傾向があるように思えます。例えば、アメリカで最大教派である南部バプテスト連盟では、2000年に新しく作られた「バプテスト信仰宣言」に全面的に賛成することが、神学校の教師、宣教師の採用の条件になり物議を醸していました。内容の細かい説明は省きますが、聖書ではなく、人間が作った聖書の適用に大きな権威を持たせてしまったという点において、イエス様の時代のパリサイ人たちの「昔の人々の言い伝え」に対する捉え方と非常によく似ていると思うのです。
これは、決して他人事ではありません。聖書を大切にしたいという熱心な思いを持っているクリスチャンであれば、だれでも陥ってしまう可能性のある出来事なのです。口で何が聖書的であるのかを説明することは誰にでもできることです。また、実社会の中で非聖書的であると思える事柄について激しく批判することも、誰にでもできることです。しかし、もし私たちが、イエス様が最も大切な聖書の教えだと明らかにされた、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という命令について不従順であれば、私たちもパリサイ人・律法学者と同じく「偽善者」になってしまうことを忘れてはなりません。
特に、「隣人を愛する」という命令の中には「赦し」が含まれていることを忘れてはなりません。イエス様が罪人を愛し、共に食事をされていた事実も忘れてはなりません。この点について、イエス様に不従順になっていないか、今日のイエス様のみことばを聞き、振り返ってみましょう。
マタイの福音書 6章14-15節 matt 6:14もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。matt 6:15しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
コロサイ人への手紙 3章13-14節 13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。14そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
ライフチャーチ 大谷信道