デイリーディボーション 4月5日(木)

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デイリーディボーション 4月5日(木)

2018年4月5日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 11:22-24
22見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。23彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。24もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。

【ポイント】
①神様の「いつくしみ」と「きびしさ」を知る
神様の「いつくしみ」とは、罪深い者をも愛し、救いの御手を差し伸べて下さっていることです。「きびしさ」とは、救いの手を握り返そうとしない人を、その人の意志を無視して無理やり救い出すことはしないことです。神様はイエス様の十字架を通して、ご自分の愛を十二分に示してくださっています。その福音を聞き、神様の無償の愛、恵みについて知りながら、あえて神様の愛を拒絶する人までも救われることはしないということなのです。神様は「いつくしみ」に満ちた神様は、必ず私たちの願いを聞いて下さるのです。つまり、救いを求める者にはその願いを聞き、救いを求めない者にもその願いを聞かれるのです。

ここでは、「ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。」という強い表現が使われていますが、神様は理不尽な裁判官のように、好き勝手に人を有罪にすることを楽しむような方ではありません。また、厳しい試験管のように、人の間違いを積極的に見つけ、ふるいにかけるような方でもありません。「切り落とされる」のは、その枝が実を結ばない状態になっているためです。つまり、その枝は既に死んでいるのです。神様は、神様の愛の養分を受け取ろうとせず死んでしまった枝を、木全体のため、また、愛の養分を受けたいと思っている別の枝をつなげるために、大きな悲しみをもって切り取られるのです。

「きびしさ」ということばに不安を覚える方がいるかも知れません。しかし、結局のところ、異邦人であろうが、ユダヤ人であろうが、御子の十字架によって明らかにされた神様の愛に応え、神様を愛する者はオリーブの枝が木につながって豊かな実を結ぶように、永遠のいのちの実を結ぶことができるということなのです。神様の愛を受け、その愛に実を委ねる者は何も心配する必要はないのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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