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2021年4月6日(火)
ヨハネの手紙第一 4:12 12いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
【ポイント】 ①神様を見たければ… 12節は極めて重要な事実を明らかにしています。まず第一に「神を見た者はありません」という点です。ヨハネの福音書1章18節にも18いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」というヨハネの説明が記されている通りです。
しかし、私たちクリスチャンには2点、神様を見るのと同じ経験ができる方法があります。1つ目はヨハネ1章18節にある通り、イエス・キリストを見ることです。ヘブル書1章3節にもこのようにありましたね。「3御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり・・・。」これが、私たちがイエス・キリストを神として信じている理由でもあります。私たちは別々の違う神を信じているのではなく、キリストによってのみ完全に啓示された唯一の神を信じているのです。というのも、その啓示は書かれた文字ではなく、肉体も人格も持ったものとして、つまり「神の本質の完全なあらわれ(神そのもの)」として私たちに与えられたからです。
神を見るための方法の2つ目は今日の個所に記されている通りです。「私たちが互いに愛し合う」ことによって、私たちは神様をあたかも目で見るように認知できるということなのです。その理由は大変シンプルです。第一に、4章8節に「神は愛だからです」と記されているように、神様の本質は「愛」だからです。しかし、その愛は人間の知っていた愛ではなく、イエス・キリストによって厳密に定義された(啓示された)愛なのです。別の言い方をすれば、キリストが明らかにされた本当の愛によって、キリストの命令に従って互いに愛し合うときに、私たちはお互いの中にキリストの姿(神さまの姿)を見ることができるのです。
ここで、私たちは再び、過去、現在のキリスト教会について考える必要があります。「神様を見たい」「神様を体験したい」「神様と深く交わりたい」という欲求をもったクリスチャンはどの時代にもいます。しかし、教会、牧師はその正しい方法を教えて来たでしょうか。信徒はその教えを従順に聞いてきたでしょうか。つまり、「神を見たい」「神様を体験したい」「神様と深く交わりたい」という人々に、「キリストの愛をもって互いに愛し合うことを実践しなさい」と、みことばに忠実に教えてきたでしょうか。私たちクリスチャンは、このみことばを忠実に守って来たでしょうか。
まことしやかな「信仰成長」の方法について教える教会や牧師がたくさんいます。様々なプログラム・トレーニングに喜んで参加する信徒がたくさんいます。しかし、私たちが本当に取り組むべきことは一つなのです。それは「互いに愛し合うこと」なのです。
ライフチャーチ 大谷信道