デイリーディボーション 4月7日(土)

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デイリーディボーション 4月7日(土)

2018年4月7日(土)

【通読】
ローマ人への手紙 11:28-32
28彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。29神の賜物と召命とは変わることがありません。30ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、31彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。

【ポイント】
①「神の賜物と召命とは変わることがありません」
ここでの「神の賜物」とは、イエス・キリストを信じることによって与えられる救いや霊的な賜物の意味ではありません。「召命」もイエス・キリストから与えられている福音の招きではありません。パウロはここで、神様がスラエルの民を選ばれたこと、使命を授けらたことに変わりがないということを説明しようとしているのです。具体的には9章4-5節に記されている通りです。「4彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。5父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。」神様は、イスラエルの民が不従順に陥ってしまったからと言って、祝福の計画を変更してイスラエルの民を退けることはなさらないのです。

②不従順は神様の責任ではない
パウロは異邦人の不従順、イスラエルの民の不従順が神様の失敗ではなく、すべては神様の計画のうちに進んでいることを説明しようとしています。しかし、先日も学んだ通り、神様が人に魔法をかけて不従順にさせたり、かたくなにさせたわけではありません。なぜなら、神様は私たち人間に自由な意志を与えられているので、私たちの意志に半して御自分を愛させたり、拒否させたりはなさならいからです。つまり、民の不従順は神様にとっては悲しい出来事なのですが、神様にとっては想定内の出来事であるということなのです。

神様は、神様に対して不従順に陥る者、キリストの福音を拒絶する者が起きてくるのをすべてご存知の上で、一人でも多くの人間は神様の愛に応えることができるように、御子を十字架にかけられたのです。この神様の愛、忍耐、寛容さを忘れて、自分の救いについて誇ってはならないのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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