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2021年4月8日(木)
ヨハネの手紙第一 4:13 13神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
【ポイント】 ①「聖霊」を一人歩きさせない 「聖霊」は、最も重要な神学のテーマの一つです。聖霊の神学的な理解の違いが、教団や教派を分ける原因にすらなっているからです。個人的には、「聖霊」の理解について、聖書に書かれていることを越えてしまっている理解には違和感を覚えることが多いのですが、過去30年ぐらいを振り返ると、そのような教団・教派が信徒の数を増やしているという傾向があるようです。
つまり、それは現代の人々が「奇跡」や「超常現象」などに大きな宗教的な魅力を覚える傾向があるということです。その理由の一つは、神様の臨在の「しるし」を求めていることでしょう。例えば、「病の癒し」「異言」などを目の当たりにしたり、体験することに「神様の臨在」や「神様の愛」を強く感じるのでしょう。しかし、この「神様を強く感じたい」という「感覚」が非常に危険なものであることを、多くのクリスチャンが見落としてしまっているのです。なぜなら、聖書が真理であることを信じていれば、自分がそれを感じようが感じまいが、神様は常に存在され、常の働かれ、常に私たちを愛されていることは間違いのない事実だからです。私たちが感じていようがいまいが、地球が太陽のまわりを周回しているのと同じです。
とはいえ、神様の臨在や働きを強く感じたいという肉的な感覚は多くのクリスチャンが持っているのも事実です。その点について、私たちがどのように対処していくべきだとヨハネは教えているでしょうか。今日の13節の後半を見てみると「それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります」という記されています。「それによって」とは、直前の「神は私たちに御霊を与えてくださいました。」を指しています。ここで、多くの人が間違うのは「それでは聖霊を強く感じるように頑張ろう!」という論理展開です。この一節だけをみれば、そのような印象を受けてしまうかもしれませんが、聖書は文脈(全体)で理解しなければならないという大原則を守ることが大事です。
実は、13節の後半と似た表現は1ヨハネの中に何カ所か見ることができます。例えば、2章5節には「しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。」ここから「私たちが神のうちにいること」が分かるのは「みことばを守っている事」であり、具体的には「神を愛する&隣人を愛する」というキリストのみことばを実践していることであることが分かれいます。さらに、イエス様は聖霊についてヨハネの福音書14章16節で「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」と教えられているので、イエス様のみことば(愛の命令)を守っていることは、聖霊が与えられ、聖霊の促しに従っていることを意味するのです。
つまり、私たちが目を向けるべきなのは「聖霊」ではなく、イエス様を愛し、イエス様に従い、イエス様の愛の命令に従っているか否かという1点であることが分かります(このことは、13節以降を読み進めていくとさらに明確にされていきます。)
あなたのうちに聖霊が内在してくださっているのであれば、聖霊はキリストの愛の命令に従うようにあなたに促し、あなたを助けてくださっているはずなのです。同じ御霊が与えられているクリスチャンの群れである教会はこの1点に一致するはずなのです。
ライフチャーチ 大谷信道