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2020年5月1日(金)
テモテへの手紙 第二 1:9-14 9神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、10それが今、私たちの救い主キリスト・イエスの現われによって明らかにされたのです。キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。11私は、この福音のために、宣教者、使徒、また教師として任命されたのです。12そのために、私はこのような苦しみにも会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。13あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。14そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。
【ポイント】 ①イエス様からの「招き」と「召し」を理解する 私たちの地上での信仰は、イエス様からの個人的な「招き」「召し」によって始まり、イエス様の天の御国への「招き」「召し」によって終わります。「招き」「召し」は宗教用語っぽく理解されていることが多いかと思いますが、簡単に言えば「呼びかけ」です。私たちクリスチャンは、キリスト教という宗教システムに帰依した者ではありません。イエス様から個人的な「呼びかけ」を受け、「呼びかけ」に応え、従った者なのです。
それでは、あなたはイエス様から個人的に呼び出されたという自覚を持っていますか?あなたが信仰に導かれたのは、牧師、家族、友人の招きによるものではありません。あなたは人から「あなたはイエス・キリストを信じますか?」という招きのことばを聞いたかもしれません。しかし、その呼びかけは「あなたは私をキリストとして信じますか?」というイエス様からの呼びかけであることを忘れてはなりません。あなたの信仰決心のために祈り、働きかけをした人が何人もいたことでしょう。しかし、彼らは、あなたに招待状、召喚状を送ったにすぎないのです。私たちクリスチャンは、イエス様から名前を呼ばれ、イエス様から「わたしを信じなさい。」「わたしに従いなさい。」「わたしを愛しなさい」という呼びかけを個人的に受け、「はい!」と答えた者なのです。
つまり、「招き」「召し」ということば(事実)は、私たちの信仰がイエス様との個人的な愛の関係(相互愛)によって成立していることが分かります。この一点を理解していれば、信仰に「律法の行ない」「儀式」「祭り」などが入り込む余地など全くないことに気が付くはずです。私たちが自分の、そして自分の教会の信仰が健全なものであるのかを見分けるためにも、イエス様の「招き」「召し」を正しく理解していることが大変重要になるのです。
ライフチャーチ 大谷信道