デイリーディボーション 5月10日(金)

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デイリーディボーション 5月10日(金)

2019年5月10日(金)
マルコによる福音書 6:1-6 1イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。2安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。3この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。4イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」5それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。6イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた。
【ポイント】 ①信仰と結婚の類似点を知る 今日の箇所は「結婚」とは一切関係ない箇所なのに、なぜ「結婚」というポイントになってしまうのか不思議に思った方もいることでしょう。しかし、関係あるのです。
繰り返し学んでいますが、聖書に見ることができる「信仰」とは、私たちが神様(イエス様)と愛の関係で結ばれている状態です。イエス様が神の子・キリストであることは、誰よりもサタンが一番良く知っています。しかし、サタンに欠けているのは神様(イエス様)との愛の関係なのです。残念ながら、イエスが神の御子であること、イエス様が自分の罪を赦してくださる方であること、イエス様が自分を天国に導いてくださる方であることを「認めること」が「信仰」だと勘違いしているクリスチャンの方が少なからずいます。しかし、それは信仰ではなく、頭の知識でしかないのです。繰り返しになりますが、イエス様のそのような性質を一番良く知っているのはサタンなのです。もし、それが「信仰」だとすれば、最も信仰深い存在はサタンであることになってしまうのです。
恐らく、イエス様が育った地域でも、イエス様の不思議な御業について聞いていた人々がたくさんいた事でしょう。しかし、イエス様に対する先入観が非常に強かったため、村の人々はイエス様を愛したり、信頼したりすることができなかったのです。5章ではイエス様は長血の女性にこう言われました。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」このことばから、女性のイエス様に対する全幅の信頼とイエス様の女性に対する愛とあわれみが合致したことによっていやしがの出来事が起きたことが分かります。そして、イエス様は女性のイエス様に対する全幅の信頼を「信仰」と呼ばれたのです。ところが、イエス様を子どもの頃から知っている人々は、その先入観が邪魔し、イエス様をキリストとして信頼することができなかったのです。そして、イエス様との愛の関係、信頼関係が成立していない時に、いやしの出来事が起きなかったのです。
結婚が互いの愛の約束によって実現するように、信仰は、イエス様の私たちに対する愛と、私たちのイエス様に対する愛が合致するときに実現するのです。自分の気に入った相手に結婚を強要できないのと同じで、イエス様は、相手に愛と信仰を強要するようなことはしないのです。もし、したとしたら、それは愛でも信仰でもなくなってしまうからです。
ライフチャーチ 大谷信道


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