デイリーディボーション 5月12日(火)

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デイリーディボーション 5月12日(火)

2020年5月12日(火)
テモテへの手紙 第二 3:5 5見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。
【ポイント】 ①偽りの宗教に陥ってはならない 私たちクリスチャンとしての歩みにおけるチャレンジの一つは「敬虔そうなふりをしない」ということです。私たちは、イエス様の十字架によって罪が贖われ、キリストを信じる信仰によって、恵みによって罪の赦し、救いが与えられています。しかし、「救い」「罪の赦し」は、私たちの罪の性質な消え去ったことを意味しているわけではありません。つまり、私たちは、来るべき時に、私たちのからだが完全に贖われる時まで「罪深い性質」「肉のからだ」を持ち続けながら、救いの確信を持ち続けることが求められているのです。
もちろん、私たちは「罪深い性質」「肉のからだ」に対し、みことばと御霊によって戦い続け、少しずつ聖められていくという歩みを続けていくわけですが、それは一朝一夕には起こりません。しかし、ここで重要なことは、「自分の罪深さを隠さないこと」「敬虔そうなふりをしないこと」なのです。また、同時に自分以外の兄弟姉妹に対しても「理想的な敬虔さ」などの過度の期待をしないことです。つまり、神様のよって聖められることを求めつつも、互いの不完全さを認め合い、受け入れ合い、励まし合い続けることが重要なのです。
と言うのも、罪深さを隠し敬虔そうなふりをしている間は、まだ「良心」が働き、神様の前に不誠実な歩みをしている意識を持つことができるかもしれませんが、その「良心」がいつまでも機能している保証はないのです。例えば、イエス様の時代の大祭司、祭司たちはどうでしょうか。彼らは敬虔そうなふりをしているだけでなく、良心が腐り、神殿を私腹を肥やす手段として用いてしまいました。日本の神社仏閣はどうでしょうか。それぞれの宗教法人の代表、従事者は、自分たちの信仰対象を心の底から神とあがめているでしょうか。自分たちが掲げている「ご利益」についても心の底から信じているでしょうか。良心が腐ってしまうと、自分たちが悪いことをしている意識すら感じなくなってしまうということが良く分かると思います。
今日の個所を見ると、キリスト教会も決して例外でないことが分かるはずです。
エペソ5章5-10節 5あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です、――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。6むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。7ですから、彼らの仲間になってはいけません。8あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。9――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです――
10そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
アーメン
ライフチャーチ 大谷信道


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