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2020年5月14日(木)
テモテへの手紙 第二 3:8-9 8また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。9でも、彼らはもうこれ以上に進むことはできません。彼らの愚かさは、あのふたりの場合のように、すべての人にはっきりわかるからです。
【ポイント】 ①真理を保つ 先日も学んだ通り、パウロが取り上げているのは「教会内」の問題です。個人的な経験からすると、ほとんどのクリスチャンは「牧師は聖書の真理を正しく教えている」と信じているように思えます。また、クリスチャン的な寛容さから「牧師先生も一生懸命やってくださっているから・・・」と考え、聖書から外れたことを教えているのではないかと感じながらも、受け入れてしまう傾向も強いように感じます。教会が主にある一致を保つためには「寛容さ」は極めて重要な要素になるわけですが、聖書の真理から外れていることを受け入れることは、主が教えられている「寛容さ」とは別物であることを知らなくてはなりません。柔和さを持ちながら、牧師と信徒が良く話し合い、もし聖書の真理から外れていることが教えられている場合には、謙虚さをもって歩みを修正すればよいのです。
聖書の真理が語られているかという点について、疑問を感じることがあれば、我慢したり、不満をため込んだりせずに、できるだけ早く牧師やリーダーに率直に疑問を投げかけてよいのです(もちろん柔和さをもって)。牧師が教師だとすれば、信徒はある意味生徒でもあるわけです。生徒の質問を受け付けない教師がいたとしたら、教師としての資質を疑われますし、教師に質問をしない生徒は、学習の機会を自分のものとできない質の悪い生徒となることでしょう。牧師に対して質問することが失礼だと感じる方もいるかもしれませんが、決してそのようなことはありません。むしろ、そのような対話によって、教会全体が真理を学び、教会としての健全さを保つことができるのです。
しかし、そもそも、そのような対話は、皆さんが聖書の学びを通して「真理」について興味を持ち、「真理を保ちたい」という思いが与えられなければ起きることはありません。パウロが人生を懸けて、イエス・キリストの福音の真理を伝え続け、教え続けた姿に動かされましょう!
ライフチャーチ 大谷信道