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2020年5月15日(金)
テモテへの手紙 第二 3:10-12 10しかし、あなたは、私の教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、11またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。12確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
【ポイント】 ①教会内での迫害と苦難 イエス様は、イエス様の福音の真理に従う決意をする難しさについて、隠すことなく教えられました。
マタイの福音書 7章1 「13狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
このイエス様のことばは、決して信仰決心について教えられただけのものではありません。なぜなら、教会の中に真理を曲げ、「いのちに至る門・道」を大きくしたり、広くしたりするものが入り込んでい来ることを直後の15節で教えているからです。「15にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」
これまで学んできたように、私たちクリスチャンが経験する迫害や苦難は、教会の外からだけでなく、教会の中でも起きうることを知らなくてはならないのです。キリスト教会が宗教化(世俗化)するプロセスの一つは、多くの新興宗教の活動と同じく「会員集め」です。「一人でも多くの人に福音を伝えるために」という「大義名分」のもとに、より多くの会員を集めること(より多くの献金を集めること)、が最大の目的になってしまっている教会は少なくありません。さらに、教会外の人々には、「より多くの会員がいる教会が良い教会」、または「良い教会にはより多くの人が集まる」というようなイメージがあると思うので、大規模化を考えている教会は、会員の獲得に熱心になるのです。
しかし、そのような動きは上のイエス様のみことばを矛盾してはいないでしょうか。私たちが真理を真理のまま伝えるときに、世の中に人からは門は小さく、道は狭くはずなのではないでしょうか。イエス様は、一度たりとも、いのちに至る門を大きく見せたり、道を広く見せたりするようなことはされませんでした。それゆえに、イエス様は人々からの反感を買い、迫害を受けました。
同じように、私たちがイエス様の真理を正しく語るときに、そのメッセージを嫌がる人が必ずいます。教会の中でも、もっと聞きやすいメッセージにすればより多くの人が興味を持ってくれたり、喜んで聞いてくれるはずだと考えるクリスチャンも出てくるでしょう。ですから、私たちが真理を語り、真理に生きる時には、教会の外からも、場合によっては教会の中の人々からも迫害を受けることがあるのです。しかし、私たちはそこで妥協してはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道