デイリーディボーション 5月17日(木)

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デイリーディボーション 5月17日(木)

2018年5月17日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 15:16-17
16それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。17それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。

【ポイント】
①パウロの使命
15節をもう一度確認してみましょう。「15ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。」パウロは、彼の手紙を素直に受け取ることができず、パウロに対して反発や怒りを覚える人がローマの教会の中にいるであろうと予想していたのでしょう。というのも1章10節の「いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。」という記述から、パウロはまだ一度もローマの教会を訪問したことがないと思われるので、教会の中にはパウロの使徒としての権威に疑問を持っている人もいるであろうと考えていたのでしょう。そこで、パウロは自分の使徒としての使命、権威がキリストから与えられているものであることを確認したのです。

同じようなケースは他の教会でもありました。例えば、2コリント10章「10彼らは言います。『パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。』11そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。」などという批判や誹りを訪問先の教会のクリスチャンから受けていたことがあったのです。

②戦う相手は指導者ではない
思春期に学校の教師や両親に反抗してしまう子どもがいます。職場で上司、上層部の人たちに対して常に批判的、反抗的な態度を取り続けてしまう大人もいます。今日の箇所から教会の中でも同じようなことが起きてしまうことが分かります。しかし、私たちは戦う相手は指導者でも、親でも、上司でもないことを知らなくてはなりません。もちろん、その中には批判されるのが当然と思えるような人はいるかもしれません。しかし、私たちはいくら他者を批判したり、その間違いを指摘したとしても、それで自分が成長することはありません。むしろ、人間的に成長する過程の中で、他者に向けている批判を、そのまま自分に向けてみれば自分こそ問題だらけであることを知っていくのです。

パウロの願いもローマの教会のクリスチャンの成長です。14節で「私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。」と語っていましたね。パウロのローマの教会の人々、そして私たちへの願いは、パウロの手紙を通して真理、知恵に満たされ、パウロと議論するのではなく、「互いに訓戒し合う」ことによって、健全な教会を立てあげて行くことなのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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