デイリーディボーション 5月17日(金)

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デイリーディボーション 5月17日(金)

2019年5月17日(金)
マルコによる福音書 6:35-38 35そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。36みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」37すると、彼らに答えて言われた。「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」そこで弟子たちは言った。「私たちが出かけて行って、二百デナリものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか。」38するとイエスは彼らに言われた。「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい。」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です。」
【ポイント】 ①信仰の制限を取り去る 有名な「5つのパンと二匹の魚」の箇所です。近現代の多くの神学者は、この出来事が絶対に不可能である(単なる神話)と考え、イエス様の何者であるのかを伝えるための使徒たちの創作であると結論づけてきました。個人的には、そのような考え方は「科学万能」が信じられていた時代に影響を受けたもので、現代では過去の遺物であると思っています。19世紀、20世紀に「科学的に説明ができない!」とされていた事柄で、あとの時代に科学的に解明されたものは数え切れないほどあるのではないでしょうか。つまり、先の「科学的に説明ができない」という問題の本質は、科学そのものの知識不足にも原因があるのです。
「五つのパンと二匹の魚」で群衆の空腹を満たすことが不可能なこと、バカげたことであることは、1世紀の人間でも分かることです。そもそも、弟子たちでさえも、そのようなことは不可能であると信じていたはずです。しかし、使徒たちは、この出来事が真実であったことを、大真面目に伝えているのです。
これを「神話」と片付けてしまうことは簡単なことです。しかし、21世紀に生きる私たちだからこそ、つまり、科学的な知識の素晴らしさと限界の両方を知っているわたしたちだからこそ、「奇跡の可能性」について余地を残しておく謙虚さを持つことができるのではないでしょうか。今の科学で証明されていないから信じないのでも、証明されているから信じるのでもなく、神様は私たちの想像を遥かに超えた力を持っていることを謙虚に認め、信じることが大切なのではないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道


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