デイリーディボーション 5月18日(水)

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デイリーディボーション 5月18日(水)

2022年5月18日(水)
マタイの福音書 25章31-41節 31人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。32そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、33羊を自分の右に、山羊を左に置きます。34そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。35あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、36わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』37すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。38いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。39また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
【ポイント】 ①最後の審判に備える 私たちは、一日生きれば、一日死に近づきます。1年生きれば、寿命が1年短くなるということです。つまり、生と死は常に一体であり、「どのように生きるのか」という質問は、「どのように死ぬのか」と同じ質問でもあるのです。そして、クリスチャンである私たちは、今日の個所を読むときに、その意味をさらに深く理解できるのです。多くの人は、自分が地上で何を成し遂げるのか、地上に何を遺すのかということばかりに必死で、その行いの一つひとつが死後の世界でどのような意味を持つのかを考えません。しかし、自分の地上での歩みが神様の前で本当に正しいいものであるのか、神様にとって意味のある者なのかという視点を加えてみると、生き方が大きく変えられるのではないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道


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