デイリーディボーション 5月19日(火)

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デイリーディボーション 5月19日(火)

2020年5月19日(火)
テモテへの手紙 第二 4:1-2 1神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
【ポイント】 ①パウロのテモテに対する指示の結論 パウロのテモテに対することばから、牧師に与えられている使命の最優先事項を見ることができます。それは「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」ということです。教会に集まる私たちも、この点をしっかりと理解し、牧師に対して正しい期待を持つことが重要です。
例えば、「病院」「学校」などを選ぶときに、医師や教師の人柄を最優先に決めるでしょうか。もちろん、それは重要なことですが、もし医師が優しく丁寧に話を聞いてくれたり、温かい言葉をかけてくれたとしても、適切な治療をしてくれなかったらどうでしょうか。教師はとっても良い人なのですが、教科をしっかりと教えてくれなかったらどうでしょうか。医師も教師は、それぞれが与えられている最も重要な責任(使命)を行っていなければ、どのように人柄が素晴らしかったとしても、良い医師、教師とは認識されないはずです。
牧師も同じです。どのように優しく、話が上手で、人に尽くしてくれる人だとしても、神様から与えられている使命を全うしなければ、神様に対しては不誠実な僕となってしまいますし、しっかりと「みことば」を宣べ伝えなければ、教会の信徒が神様の御前に立つときに、その人たちも神様のみことば(御心)に対して不誠実であったと指摘されてしまうことになるのです。
ですから、牧師も信徒も「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」という神様の求められている教会の姿を共有し、与えられている使命を全うすることができるように協力するのです。具体的には、牧師は説教を自分の聖書研究(神学研究)の発表の場にしたり、単なる自己啓発(人間成長・倫理教育)の講演にしたり、自分がスポットライトを浴びる場などにせず、聖書のみことばを書かれたとおりに伝えることに専念することであり、信徒は知的好奇心を満たしたり、自分の心の満し(一時的な慰め、励まし)を求めたり、牧師にカリスマ性を求めたりせず、神様のみことばを聞くこと、神様のみこころを求めることに専念することだと思います。
私たちが真剣に求めるべきは、自分たちの喜び、自分たちの満足ではありません。神様を愛する私たちが、神様の御心を行っている姿を見て、神様が喜び、満足されることです。ここに、私たちの本当の喜びや満足があるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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