デイリーディボーション 5月22日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 5月22日(水)

2019年5月22日(水)
マルコによる福音書 7:1-6-8 6イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。7彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』8あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」
【ポイント】 ①「昔の人のたちの言い伝え」に注意する ーその2ー あなたが充実感や達成感を覚えるの次のどちらですか?1)決められたことを決められた通りに忠実行なう。 2)物事の意味や目的を確認し、納得した事に取り組む。
この世では1番のメンタリティーを持っている人は大変重宝されます。文句を言わずに与えられた仕事に取り組んでくれますし、その仕事に喜びも感じてくれるからです。一方2番の人は、いちいち質問が多いですし、自分が納得できない仕事には熱心に取り組んでくれない可能性があるので、組織の中では厄介者と思われてしまうこともあるでしょう。
1番のタイプの人が多いほうが、働きやすい職場のように感じるかもしれません。しかし、信仰のコミュニティーにおいてはそうではありません。良い指導者が与えられている場合は良いのですが、そうでない時には、不健全な指導者の教えや命令に、ある意味盲目的に従ってくれる人たちの集まりですから、知らず知らずのうちにコニュニティーが不健全な状態に陥ってしまう可能性があるのです。
ですから、実は教会の中には2番のタイプのメンバーが必要なのです。と言っても、何でもかんでも反対するクレーマー的な人ではありません。常に、自分たちに与えられている使命、目的を考えたり、自分たちの歩みが聖書的であるのかを確認できる人です。もちろん、課題を見つけた時には、喧嘩をするのではなく、愛を持って提案したり、忍耐強く変化を待つことが大切であることは言うまでもありません。
誰でも組織の中に波風を立たせることに恐れを感じます。課題を見つけても黙っている方が楽だと感じることもあるでしょう。しかし、全員がその安全地帯から出なくなってしまうと、イエス様の時代のユダヤ教のように、伝統や形式ばかりを重んじる信仰の骨抜き、形骸化が起きてしまうのです。パリサイ人は改革を試みましたが、「表面的な律法主義」という別の形骸化が起きてしまいました。
イエス様の問いかけは「それって聖書に書いてありますか?」という極めて単純で明快なものです。しかし、その問いかけはユダヤ教の中に大きな波紋を起こし、迫害の原因となりました。先日も触れましたが、宗教改革のきっかけを作ったマルティン・ルターの95か条の論題も「免罪符(贖宥状)って聖書に書いてありますか?」という単純な疑問の提起だったと考えられます。
ですから、私たちも事あるごとに「それって聖書に書いてありますか?」と考え、聖書を開くことが極めて重要なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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