デイリーディボーション 5月24日(月)

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デイリーディボーション 5月24日(月)

2021年5月24日(月)
マタイの福音書 3:-6 1そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。2「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」3この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。4このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。5さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、6自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。
【ポイント】 ①ナザレのイエスは神の子か? 3節はイザヤ書40章3節からの引用です。イザヤ書は大変不思議な預言書です。イザヤ書は66章ありますが、この数は旧約聖書39巻と新約聖書27巻を合わせた66巻と同じ数字です。また、今日の個所で引用されているイザヤ40章は、39章までの内容から一変し、その中心は「神様の救い」となっていきます。イザヤ書の内容は1章から39章までが旧約聖書39巻に、そして、40章から66章までが700年後に記される27巻の新約聖書に対応しているように見えるのです。
イザヤ書に精通しているユダヤ人は、イザヤの40章から(バビロンからの)救いがテーマになることを良く知っていたはずなので、福音書の著者が40章3節を引用することだけで、イスラエルに救い主(ローマ帝国からの解放者、または終末的な意味での救い主)が与えらたことを伝えようとしている意図をすぐに察知できたはずです。
実際のバプテスマのヨハネを見た多くの人は、その風貌が2列王記1章8節に記されている「預言者エリヤ」とそっくりなことや、先ほどのイザヤ書の個所などから、彼が神様から遣わされた預言者であることを信じていたようです。だからこそ、終末における神様のさばきを恐れ、「エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域」から、悔い改めのために人々が集まってきたのです。
ユダヤ人だけでなく、異邦人である私たちも、旧約聖書の預言を学ぶことによって、イエス様が預言を成就された方であることを知り、信仰の確信を深めることができるのです。
マタイの著者は読者がナザレのイエスが神の子であったという確信を得ることができるように、限られた紙面の中で最大限の証拠を提示しようとしています。読者である私たちは、その意図を汲み取っているでしょうか。残念ながら聖書を読む人の多くは「良い教えを得たい」「心に安らぎを得たい」「より良いクリスチャンとして成長したい」など、著者の意図とは全く関係の無い読み方をしているようです。私たちは、このミスコミュニケーション(すれ違い)に気が付かなければなりません。そして、書かれた意図(神様の意図)をしっかりと受け取ることに注力するべきなのです。
あなたは、自分本位な聖書の読み方に陥っていませんか?
ライフチャーチ 大谷信道


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